神戸・教諭暴力事件/上尾との共通点は?

 神戸市立東須磨小学校の教諭4人が、数年間にわたり、同僚の若手教員4人に対して集団いじめ・暴力行為・パワハラ・セクハラ行為を繰り返し、うち1人を休職に追い込んだという事件が表面化しました。
今回は、この事件について、「上尾で起こらないとは言えない」という視点で考えてみたいと思います。

記事No.36

■事件の要因は重層的なもの
 神戸の事件は、多くのメディアやネットで、相手が嫌がる様子を写した動画も含めて流されていますが、事件の全体をおおむね伝えているのは、こちらの記事だと思います。
事件に対しては、識者や世論の大半の意見が「刑事事件なので厳罰に処すべきである」というものであり、また、加害者が「有給休暇」で給与が支払われていることに市民からも批判が噴出し、神戸市長も急遽給与の差し止め条例を市議会に追加提案するという事態になっています(10/28議案提出、10/29成立見込)。

 では、なぜこのような事件が実際に起きたのでしょうか?

 まず、事件の要因として言われているのは、前記事のコメントでも言及されたように、「神戸方式」と呼ばれる、校長同士が相談して、気に入った先生を引き入れ、それを教育委員会に追認させるといった特殊な人事異動システムです。つまり、異動してきた者が、校長の威厳を笠に着て他の職員に強く出る、という構図です。

 言われているように、この「神戸方式人事」が事件の要因となっていることは間違いないでしょう。校長が後ろ盾になっていれば、引っ張られた教員の発言力も増すでしょうし、強く言われた相手が校長に「直訴」しても、校長は味方になってはくれないでしょう。

 さらに、事件に至る要因は次のようなことが考えられます。

*加害者とされる4人の教諭は、学校では「いじめ担当」や「学年主任」、「若手教員への指導役」などを担っていたこと(=主任制や校務分掌など、校内での職員の序列化の問題

*東須磨小は、2017年度に人権教育推進の「研究指定校」となっており、当時の校長が、小学校教員でつくる「人権教育部会」セミナーに積極的に参加していた主犯格のひとりである男性教諭を「神戸方式」で同校に赴任させたと指摘されていること。
(=「研究指定校」の弊害の問題

*現校長も前校長も、同じ学校で教頭から校長になっていること。
(=教頭時代から職員室での加害者の行状を知っており、そのまま校長になったのであれば、加害者には強く指導できないこと)

*被害者の教諭が昨年度、当時の校長に被害を訴えたが、逆に「お世話になっているのだろう」と威圧されたばかりか、逆に被害者に対して高圧的に叱責したり、飲み会への強要などのハラスメントがあったと指摘されていること。
また、複数の同僚教員がこの問題に気づき、昨年度の校長に訴えたが、加害者グループが校長からその指導力を評価されていることなどから、<事実上もみ消しがあった>と指摘されていること。
(=校長の資質の問題

(追記)
 各新聞等報道によれば、神戸・東須磨小の前校長は、現在「体調不良」で休んでいますが、11/1 付けで市教委事務局に異動になる見込みだそうです。何か都合が悪くなると、市教委に「かくまう」のは、常套手段です上尾でも、校長や教頭に何かあれば、市教委事務局にいる「待機組」が着任するのは、市教委内部での言わば「常識」です。
つまり、たえず余剰人員を抱えているとも言えます。

*市の教育委員会事務局の指導主事と、現場の校長の親和性が極めて高いこと。(=指導主事と校長との「ズブズブの関係性」の問題

 こうした重層的なことが、今回の神戸の事件の要因として挙げられますが同様の事件が上尾で起きないとも限らないという視点から考えていきたい思います。

■一般教職員の声は校長や教委に届いているか
 上尾の小・中学校で「日々子どもたちと向き合って授業をしている先生たちの生の声が、果たして市教委に届いているのか」という問いに対しては、残念ながら現状では
“NO” と言わざるを得ません。

 たとえば、2019.03.06の上尾市議会「文教経済常任委員会審査」において、次の質疑がされています。

◆委員(糟谷珠紀)  上尾市では既に中央小学校でタブレット端末を入れて、LAN環境も整備されているところで、実証実験みたいな形で先行してやってきたと思います。これを使っている現場の教員の中で、例えばそれが研修時間がすごく多くて大変だとかいう声は届いているのかどうか(お伺いします)。

◎副参事兼指導課長(瀧沢葉子)  指導課です。まず、教職からそういう声は届いているかということについては、届いておりません

 このやりとりから何がわかるでしょうか。

 糟谷委員が「現場の教員の声が(市教委に)届いているか」という質問に対して、瀧沢指導課長(今年度は学務課長。以前は校長)は、「届いておりません」と答えています。これは「現場の教員の声は、各学校の校長が把握したうえで、市教委事務局に伝える」という、言わば校長と市教委との間での<了解>に基づいての答弁と言えます。つまり、現場の声は校長を通じてしか市教委には届かないし、もし校長が言わなければ、現場の声は反映されないということになります。

 そこで問題になるのは、瀧沢課長もそうですが、上尾市教委事務局には、校長であった者が指導課長やら学務課長やら学校教育部長に就いており、最後に退職する際には(退職金をどこが支払うかということがあるので)学校現場に戻るという、言わば<親和的システム>とでも呼ぶべき仕組みが出来上がっていることです。すなわち、校長は市教委事務局に異動する可能性があるので、自分に不利にならないように立ち振る舞うことになります。

 先の上尾市議会「文教経済常任委員会審査」のやりとりで、「現場の先生の声が届いていない」というのは、「校長からそのような話を市教委事務局は聞いていない」という意味なのです。もし、学校現場の先生から質問なり要望があったとしても、校長がそうした声を市教委事務局に伝えることは、まず無いでしょう。

なぜなら、校長と市教委事務局とは「ズブズブの関係性」となっており、これは上尾も神戸も同様だと思われます。自分が市教委事務局に異動したときのことを考えれば、現場の要望をそのまま伝えることは「自分で自分の首を絞めることにもなりかねない」と校長が考えても、決して不自然ではないのです。

 市教委事務局と校長との関係性が以上のようなものであれば、神戸のような事件が起こっても、最初から全てを校長が市教委に伝えるとは思えません。上尾と神戸の「近似性」が指摘できる所以です。

■「研究指定」の弊害
 神戸の事件で、「やはりそうなのか、上尾と似ているな」と思わ
せることに、「研究指定」の弊害の問題があります。
東須磨小は、2017年度に人権教育推進の「研究指定校」となっており、当時の校長が、主犯格の男性教諭を、人権教育に熱心であるという理由で同校に赴任させたと指摘されています。

 事件を見ても明らかなように、残念ながら「人権教育を推進している者自身が、人権感覚を持ち合わせているわけではない」というのが実態です。いくら人権教育に熱心であっても、加害者としてとった行動は常軌を逸しており、人間としても許されない行為です。

 上尾では毎年、市内の学校数(33校)の3分の1にあたる11校が強制的に何らかの研究指定の発表をさせられています。
3年に一度と言いますが、発表の前年はプレ発表ということですから、たえず「研究指定」のプレッシャーに晒されています。

 また、「指導」に各学校に来る「指導主事」は、たとえば小学校の経験しか無いにもかかわらず、中学校のベテランの先生を「指導」するといった、<指導主事の資質の問題>も指摘できます。

 とにかく、学校現場に余裕を与えない」「校長が何も言わないので、現場の不満や要望など無い」というのが、今の上尾市教委の姿勢であり、教員の長時間労働を(表面的な対処療法ではなく)根本から解決しようとしない教育行政となっているのが現状なのです。

■上尾で必要なことは
 今記事で述べてきたように、事件の要因は複合的なものになっています。では、神戸のような事件が起きないようにするためには、上尾ではどうしたらよいのでしょうか。

(1) 自由にものが言える雰囲気が大切
 教員にとって大切なのは、一にも二にも授業です。校長や教頭は担任として子どもたちの前に立つことはありません(自ら放棄したとも言えます)。学校で最も重要なのは、いかに教員が自由な雰囲気で、しかも余裕をもって子どもたちに向き合えるかなのです。その意味で、学校内での「権威の序列」は必要ありません。校長はあくまでも「職務上の上司」であり、教頭はその補佐役です。
 学校で目指すべきは、「わかる授業」をいかに教員が他の職員とつくりあげることができるか、ということではないでしょうか。

(2) 強制的な「研究指定」を、選択制にすること
校長はその親和性から、市教委事務局が言うことに唯々諾々と従います(情報公開請求で検証済)が、強制的な「研究指定制度」が無くなったとしても、学校は少しも困りません。
校内でお互いに授業を見せ合い、ともに学ぶ必要があることは否定しませんが、その際、「指導者」を呼ぶのでしたら、学校側が選んだ方を呼べばよいのです。
同様に、強制的な「研究指定」などは止めて、希望制にすれば良いのです。「指導主事」がその指導力を見せたいのであれば、手本となるような「世界一受けたい授業」を実際にやって見せることです。
(上尾の指導主事の中にそんな人がいるとは思えませんが)

(3) 学校にもっと余裕を
学校が忙しい根本的な原因は、学校に対する市教委事務局の関与が多すぎる点です。市教委事務局の関与を極力減らすことが、真の意味での「働き方改革」に結びつきます。
また、文科省で定めている年間授業数よりも大幅に授業時間数が超過している現状も何とかする必要があります(これに関しては後日別記事でお伝えします)。
さらに、6年前に夏休みを1週間前倒しをしたことの検証をすべきです。とりわけ、教職員が休みづらくなったというアンケート結果があったはずなのに、それについての検証がおこなわれていません。
夏休みを短くして、「授業数の確保」ばかり言う市教委事務局も、例えば2学期の始業式を8/29に改めるなど、自らの方針を考え直す時期なのではないでしょうか。

 今回の神戸の事件を契機に、上尾市教育委員会としても、上尾でも起こりうる事件であるという観点から
教育行政を見直すことが必要だと考えます。