上尾市議の誰も指摘できなかった! W逮捕の陰で、上尾市図書館でおこなわれた 「不都合な真実」。

前市長・議長W逮捕のドサクサに紛れて、2018年度以降の『上尾市図書館要覧』から「上尾市図書館の基本理念」&「図書館の自由に関する宣言」が消されています。このことは市議の誰一人指摘していません。

記事No.30
※今回は、「図書館の自由に関する宣言」の骨子を掲載してあるため、長めの記事となっています。ただ、大事なことですので、ゆっくりとお読みください。
(PC画面でお読みいただくことを推奨します)

 ■関 孝夫館長のもとで何が起きたのか?
 上尾市図書館による『図書館要覧』は、2018年度から、その体裁や中身が変更されました。図書館のHPに掲載されている要覧(こちら)を参照してください。

 表紙を開けばすぐ気づきますが、2017(H29)年度までは、表紙の次が「上尾市図書館の基本理念」、次ページに「図書館の自由に関する宣言」が掲載されていたものが、2018(H30)年度以降は「上尾市図書館の基本理念(以下、この記事では「基本理念」)」と「図書館の自由に関する宣言(以下、「宣言」)が丸ごと消されているのです。

 館の住人(このブログの筆者)は、「なぜこのようなことが起こったのか、その理由が知りたい」ということで情報公開請求をおこないました。その結果は、「決裁文書はあるが、起案の理由が書かれていないため、文書不存在」との処分が下されました。
基本理念」や「宣言」を丸ごと消してしまうのは大幅な変更ですが、その理由を書かずに決裁し、職員もハンコを押してしまうというのは、「ある強い意思」が働いたと考えるのが極めて自然です。

 2018(H30)年度の上尾市図書館長は、関 孝夫 氏でした。同氏は1年間だけ図書館長を務めた後、2019年度は 学校教育部参事 兼 学校教育部次長 となっています。たった1年だけ図書館長に就いたのでは、ほとんど何もできないだろうと誰もが思うでしょう。
しかしながら、前記の事実を重ね合わせたうえで考えると、関氏は、上尾市図書館要覧から「基本理念」や「宣言」を丸ごと消してしまうという〈大きな仕事〉をするために図書館長になった、とも言えます。

■「上尾市図書館の基本理念」とは?
ここで、あらためて「上尾市図書館の基本理念」を見てみましょう。

  くらしに役立ち、市民とともに歩む図書館

  〇誰もが本と出合うよろこびを感じられる
              居心地の良い図書館
  〇くらしに役立ち、
        市民の知る権利を保障する図書館
  〇市民文化創出の礎(いしずえ)になる図書館   

  を目指して市民とともに歩んでいきます
                                                                          上尾市図書館

■「基本理念」の何が気に入らないのでしょうか?
 このとおり、「基本理念」はとてもわかりやすい言葉で書かれています。これを『図書館要覧』から消したいと思ったのはなぜなのでしょうか。
◇「市民とともに」が繰り返されているから?
◇「知る権利を保障する」と書いてあるから?
もしもそういう理由で消したとしたら、到底市民としては理解も納得もできるものではありません。

■「図書館の自由に関する宣言」の骨子とは?
では、消された「宣言」のほうを見てみましょう。
再度、図書館要覧(こちら)を参照してください。
1979年改訂宣言は、憲法が定める国民主権の原理と表現の自由によって、図書館を国民の知る自由を保障する機関として位置づけています。「知る自由」は、表現の送り手の自由と表裏一体をなすものであり、すべて国民は、いつでも必要とする資料を自由に入手し、利用する権利をもっていることを確認し、その権利を社会的に保障する責任を図書館は負っていると述べています。
また、図書館利用に関していかなる差別もあってはならないこと、それは外国人についても同様でなければならないとし、こうした「図書館の自由」に関する原則は、「すべての図書館に基本的に妥当する」と述べることで、どの館種の図書館にもあてはまるという考えを示しています。

 「収集の自由」とは、図書館が自らの責任で作成した収集方針に基づいて行う資料収集が、ほかからの圧力や干渉によって歪められることがあってはならないということで、そのためには図書館が行う資料収集の原理が国民に明らかになっていなければなりません。 第1項ではその原則として、「多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する」などを掲げ、さらに収集方針を成文化し、公開することで広く社会の批判と協力を得るとしています。
 図書館に収集された資料は、すべて国民の自由な利用に供されねばなりません。宣言はそのことを確認した上で、人権やプライバシーを侵害するもの、わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの、寄贈者・寄託者が公開を非とする非公刊資料については、提供を制限することもあり得るとしています。ただその場合も、その措置は時期を経て再検討すべきだし、資料そのものはきちんと保存することの重要性などを提供の自由についての第2項で述べています。
 読者が何を読むかは、個人の内面の自由に深くかかわるプライバシーに属することです。そのため図書館は、貸出記録をはじめ利用者の読書事実、利用事実を他に漏らすことがあってはなりませんし、その責務は図書館活動に従事するすべての職員に課されているというのが第3項「利用者の秘密を守る」の内容です。この項目は、1979年改訂ではじめて主文に取り上げられた事項です。憲法第21条第2項が、「検閲は、これをしてはならない」と明確に禁じていることから、現代の日本では国民の知る自由を侵す検閲は存在しないはずですが、現実には検閲に近い行為、「検閲と同様の結果をもたらす」ような干渉があとを絶ちません。 そうした事態は、自由な図書館活動とあい容れないので、「図書館はすべての検閲に反対する」ことを第4項で述べています。
 最後の結びにおいては、図書館の自由の状況は、民主主義の進展の重要な指標であると述べ、もし図書館の自由を侵害するような事態があれば、図書館は互いに力を合わせて闘うし、そのことで共通の立場に立つ団体や人々と連携することで、「図書館の自由を守る努力を不断に続ける」との決意を示しています。
※以上の骨子については、塩見 昇他編 『図書館概論 五訂版』日本図書館協会,2018年,P59-60を引用・参照しました。

■ハコものだけでない、教育機関としての図書館
 以上見てきたように、私たち市民にとって図書館は市民の「知る権利」や知の集積という点で、とても大切です。新図書館建設問題以来、ともすればハコものに論議が集中する傾向がありました。もちろんそのことも大変重要ですが、W逮捕に象徴される事件や不祥事の陰で、行政による恣意的とも言うべき事態が進行していることも、市民は忘れてはならないでしょう。
さらに、こうした事実を指摘できる市民的視座に立った議員が現れることを切望します。

“上尾市議の誰も指摘できなかった! W逮捕の陰で、上尾市図書館でおこなわれた 「不都合な真実」。” への4件の返信

  1. こんばんは。想像ですが、アホバカ高卒市長・議長と犯罪者擁護クラブ市議が、
    新図書館建設反対派=反体制派市民と見做し、市民の知る権利は怪しからんと、削除命令をアホ図書館長に命令したのでしょう。だから、教養のない人間はリーダーとは認められません。
    百条委員会で、白を切るであろう、ハタ坊の見苦しい姿をまもなく見ることができます。
    ペコペコ頭を下げ、同じセリフの繰り返しでしょ。某会の操り人形はやめたいみたいだけど、
    海老原市議はハタ坊の底の浅さに見切りをつけて、今は鈴木元市議の仲間じゃん。情けない。
    明石市の泉市長を見習え。ハタ坊は北川知事から政治の在り方を拝聴したようだが、何も生かせていない。もともと素養もないから無理ですね。
    今回の元市長のブロック塀の修理は職員倫理規程の策定中に、部下の部長が堂々と市民の信頼に背く行為をしているのだから。北川元知事にしてみれば、「腹を切れ」と言いたいところでしょう。

    1. 今回は、図書館行政から見えてくる「不都合な真実」をお伝えしました。
      図書館は教育機関であるということを、市民にもっとアピールする必要があると思います。
      1年だけの任期の図書館長では、上の指示以外、何もできないことは明らかです。
      その職員が学校教育部「次長」ですから。
      今も指示待ちで、何もできずにいるのでしょう。

  2. >「決裁文書はあるが、起案の理由が書かれていないため、文書不存在」との処分が下されました。
    誰が起案し誰が決裁したのか、起案理由がなくてよく決裁されたものだ。
    誰かの意思が働いていることは明らかです。おそらく図書館長は指示されたことを
    実行に移しただけでしょう。副市長?、それとも市長?。
    市民が知るよしもないところで、悪魔がうごめいているようだ。

    1. 起案理由の書いていない決裁文書でも、開示してもらえばよかったかな、と思っています。
      (あとから、別に請求も可能ですが)
      W逮捕の時もそうですし、現在のブロック塀事件もそうですが、市民の目の届かないところで好き勝手をしている、という印象です。
      ケースは違いますが、昔々、県知事が代わったとき、新知事の最初の仕事が、県民が気づかないうちに県庁舎にかけてあった「憲法を暮らしに生かそう」の垂れ幕を降ろすことだったというのを思い出しました。

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