能登半島地震と原発のゆくえ、一方では岸田首相の「信じ難い言動」が

能登半島地震で被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
元日の地震発生から5日経過し、被害の大きさが明らかになりつつあります。
今記事では、能登半島地震と原発問題と、今回の地震をめぐっての岸田首相の「信じ難い言動」についてお伝えします。

No.306

🔸被害の状況
令和6年能登半島地震被害の状況について(石川県HP/危機管理監室より:被害報告第33報)」によると、1月11日(午後2時現在)、亡くなった方が213人、安否不明者が37人となっています。また、住宅被害の状況については、輪島市・珠洲市・かほく市・内灘町・能登町では「多数」と表示されており、把握が困難であること、さらに、いまだに「孤立集落」がある自治体もあります。
あらためて、被害を受けられた皆様の安全と、1日でも早く平穏な生活に戻られることを心よりお祈りいたします。

今回の能登半島地震ですが、元日の夕方4時過ぎ、私(当ブログ館主)のスマホに「緊急地震速報」が入り、ほどなく能登で震度7の大地震が発生したことが分かりました。
すぐに頭をよぎったのは、「能登地方=原発は大丈夫か?」でした。なぜならば、能登半島には、志賀町(しかまち)に運転停止中の原発があるからです。

🔸「誤り」が多すぎる志賀原発内部の「トラブル」発表
能登半島地震が起きた直後は「異常なし」とされた志賀原発でしたが、しだいに当初の発表が誤りであったことが分かってきました。
NHKニュースwebでは、志賀原発 外部電源一部トラブル 漏出の油量は当初発表の5倍超」という見出しで「志賀原発(北陸電力)による発表の誤り」を伝えています。
それによれば、北陸電力は次のように発表したということです。

*地震によって設備が損傷し外部から電気を受ける系統が一部使えなくなっているトラブルについて、依然、復旧の見通しは立っていない。
*敷地内で地盤が沈下するなど新たな被害も見つかった。
*2号機の変圧器から漏れた油の量について、当初およそ3500リットルと発表したが、5日開いた会見で、推計に誤りがあり、実際にはおよそ1万9800リットルにのぼったと発表。
*2号機の別の変圧器1台でも、配管の隙間からおよそ100リットルの油が漏れ出していることが確認された。
*変圧器から漏れた油は5日正午ごろまでにほとんどを回収したものの、どのように復旧させるかは、これから具体的に検討ということで、依然復旧のめどは立っていない。
*5日までに発電所内のすべての重要設備について目視で点検を行った結果、1号機の原子炉建屋の周辺など少なくとも4つのエリアで、コンクリートで舗装された地面に数センチから最大35センチの段差や地盤の沈下が見られた。

おおむね以上ですが、北陸電力は「いずれも安全上の影響はない」としています。

🔸志賀原発の「負の歴史」
しかしながら、北陸電力が言うように、本当に「安全上の影響はない」のでしょうか?
にわかに信じられないのは、志賀原発には「負の歴史」があるからです。
以下、志賀原発建設の歴史を概観してみます(Wikipedia等参照。地震の大きさの単位マグニチュードはMと表示)。

1967(昭42)能登原子力発電所建設計画発表。
1970(昭45)志賀町に原発1号機の設置決定。
1980(昭55)志賀町議会が建設促進を決議。
1985(昭60)10月、能登沖地震発生(M5.7)
1987(昭62)建設準備工事に着手。
1988(昭63)名称を志賀原子力発電所に変更。
1993(平5)2月 能登半島沖地震発生(M6.6)。7月 1号機運転開始
1999(平11)3月 2号機について着手決定。
2006(平18)3月 2号機運転開始
同月金沢地裁2号機運転差し止めを命じる(耐震性への疑問)。
2007(平19)3月 1999年に臨界事故を起こしていたことなどを公表
同月、能登半島地震が発生(M6.9)。
臨界事故隠蔽による運転停止中、能登半島地震により使用済み燃料貯蔵プール周辺に約45リットル(放射能量約750万ベクレル)の放射能を帯びた冷却水が飛散した。その内約8リットル(放射能量130万ベクレル)が飛散したのは養生シートのない部分だった。

2011(平23)3月 東日本大震災発生。
志賀原発は1・2号機とも定期点検検査により運転停止中(現在に至る)
2016(平28)原子力規制委員会が敷地内の断層について活断層である可能性を指摘。
2022(令4)6月、能登地方を震源とする地震発生(最大震度5強)
2023(令5)5月、能登地方を震源とする地震発生(M6.5)
2023(令5)11月 経団連が志賀原発を視察「早期の再稼働を期待したい
2024(令6)元日、令和6年能登半島地震発生(M7.6)
2024(令6)現在、15か所のモニタリングポストが放射線量測定不能。

こうして見ると、いかに能登半島地方に大きな地震が発生しているかが分かります。
また、北陸電力が臨界事故を8年もの間隠ぺいしていたことも明らかになっています。

※「臨界事故」とは、核燃料物質が制御不能のまま臨界となって核分裂の連鎖反応を起こし、大量の熱や放射線が発生する事故のことです(原子力基本用語集参照)。

🔸経団連会長の「早期に再稼働を」発言
上述の志賀原発の負の歴史の中で、さらに信じ難いことは、昨年の11月に経団連会長が志賀原発を視察し、「早期に再稼働を望む」と発言していることです。
以下、NHK石川web での報道を箇条書きにしてみます。

*経団連の十倉会長は、2023年11月28日に北陸電力が再稼働を目指している志賀原発2号機を視察し、「早期の再稼働を期待したい」「再稼働に向けた審査の途中ではあるが、志賀原発についての安全への意識や努力を直接みることができた」などと述べた。
*そのうえで十倉会長は「エネルギー安全保障の問題もあるので早期の再稼働を期待している。原子力のエネルギーは人類の英知であり、安全安心に科学の力を生かしていくことが大事だ」などと述べ、電力の安定供給に向けて、原子力の活用は重要だという認識を示した。

十倉会長の頭の中には、上述の志賀原発の「負の歴史」や、何度も何度も能登地方で地震が発生しているという考えはないのでしょうか。甚だ疑問です。

🔸なぜ電力会社は原発をつくりたがるのか?
この疑問に対しては、山秋真(やまあき・しん)の著書『ためされた地方自治/原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年』が参考になります。

山秋真『ためされた地方自治』桂書房、2007年、P24-25より引用
ふつうの民間企業にとって利益を圧迫する高い設備投資が、電力会社にとっては、むしろ利益を増やす構造となっている。現在の日本の電力会社は、料金をほしいままに設定でき、そのうえ顧客離れの憂いなく高料金にもできたから。独占企業に競合他社はなく、顧客にはほかの選択肢がなかった。
コストの高い発電所といえば原子力発電所である。電力自由化で今後は事情もかわるだろうが、少なくともこれまでは、原発をたてればたてるほど利潤を増やすことができる仕組みがあり、だからこそ電力会社は原発建設にまい進した。ちまたで盛んに耳にする資源エネルギー危機やエネルギー安定供給だけが、電力会社が原発を推進する理由ではなかった。

ここ半世紀の珠洲市の歴史は、原発誘致の是非を問う市長選をはじめ、「原発に賛成か反対か」の歴史であったともいえます。
このことは「珠洲原発反対運動の歴史(年表編)」に詳しく載っています。
1975(昭和50)年10月、
市議会全員協議会で『原子力発電所、原子力船基地等の調査に関する要望書』を国に提出することを決定  から
2003(平成15)年12月、北陸電力・中部電力・関西電力三社による珠洲原発計画「凍結」発表 までは、まさに本のサブタイトルにもなっている「原発にゆれた珠洲市民」の歴史でした。

北陸電力HPより

🔸[珠洲原発]が建設され稼働していたら
東京新聞のweb版に、「珠洲原発」だったら?という記事が掲載されています。

そもそも、石川県能登地方では、志賀原発の建設以前に、より北の珠洲市で関西電力、中部電力、北陸電による「珠洲原発」の建設計画があった。候補地の一つだった同市高屋町は、今回の震源となった地区と隣接する。志賀原発の廃炉を求める活動をしている金沢大の五十嵐正博名誉教授は「珠洲原発は住民による根強い反対運動で計画が中止となったが、もし高屋町に建設していたら、大変なことになっていたと思う」と想像する。

今回の地震でも大きな被害が出ているうえに、もしも「珠洲原発」が建設されていたら…と考えると、いかに原発が危険なものであるかが分かります。

🔸岸田首相の信じ難い言動
一方で、今回の地震に関連した岸田首相の言動が批判されています。
X(旧ツイッター)では、次の投稿がされています(下記動画 ▶ をクリックすると音声が出ますので、ご注意ください)。

この動画のとおり、首相記者会見では、
記者「総理、原発について質問させてください。原発について質問させてください!」
記者「総理が原発についてひと言もコメントしないのは異常です。質問させてください!」これに対して、岸田首相は資料を片付け、全く答える様子はありませんでした。それどころか、最後は薄笑いを浮かべているように見えます。
また、この会見のあと、防災服をスーツに着替えた岸田首相は、BSフジの番組に出演。
震災対応について語るどころか、総裁選の話を得意気に語っていたと、怒りのポスト(ツイート)も寄せられています。

🔸これからも要注意
今記事では、能登半島地震の被害や、原発の現状と珠洲市の「原発建設反対の歴史」、さらに岸田首相の「信じ難い言動」についてお伝えしました。
岸田首相には、今記事で言及したこと以外にも、国民からの要望が無い「改憲」への意欲、震災対応の予備費支出については1月9日の閣議決定まで先延ばし、など「信じ難い言動」が数多く見られます。とりわけ、「政治資金の透明性の拡大」や、「派閥の在り方に関するルール作り」などを進める自民党の新組織「政治刷新本部」は悪い冗談としか思えません。
本部長 岸田文雄/事務総長 木原誠二/最高顧問 麻生太郎/最高顧問 菅義偉
この顔ぶれで、国民が納得すると本当に考えているのでしょうか。
首相や自民党の動きはこれからも要注意です。

当ブログでは、上尾市の行政(教育行政)の問題が記事の中心ですが、国政にも強い関心を寄せていく必要があると考えています。

“能登半島地震と原発のゆくえ、一方では岸田首相の「信じ難い言動」が” への2件の返信

    1. コメント返しが遅くなってすみません。

      そうですね。馳知事は、1月6日(=地震の5日後)になって、やっと「非常事態宣言」を発出しましたね。
      それも「危機管理のアドバイザーに言われて」出したようです。
      どうしてこの人が知事になっているのか、理解に苦しみます。
      しかも元文科大臣って……?
      (IOC委員に機密費から20万円相当のアルバムを渡していたという話にも驚きました)

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