「上尾市民憲章」の 〈象徴〉 が泣いている??
清水九兵衛≪飛立容≫って何だかわかりますか?
正解は、上尾市役所玄関の前のモニュメントです。
「上尾市民憲章」の〈象徴〉として設置された経緯があるようですが、劣化著しい物故作家の造形作品を、上尾市はこのまま放置するつもりなのでしょうか?
記事No.33
🔷このモニュメントは、「上尾市民憲章」の象徴だそうですが…
ご存知ない方のために、 以下が「上尾市民憲章」です。
私たちは
一 ふれあいを大切にし、あたたかい上尾をつくります。
一 体をきたえ、活気ある上尾をつくります。
一 きまりを守り、美しい上尾をつくります。
一 仕事にはげみ、豊かな上尾をつくります。
一 教育・文化を高め、国際感覚を養い、未来をひらく上尾をつくります。
[ 1988(S63)年7月15日制定]
作品≪飛立容≫(ひりゅうよう、と読むようです)は、市民憲章の最後の「教育・文化を高め、国際感覚を養い、未来をひらく上尾をつくります」の〈象徴〉として、1991年に設置されたようです。
推測の域を出ないのは、このモニュメントの管理の担当である市の総務課も、設置当時の資料を持ち合わせていないことによります。
以下、総務課とのやり取りから
お問い合わせいただきました、モニュメントについてのご質問でございますが、
①購入担当課は? ⇒ 営繕課(当時の課名)と聞いております。
②維持管理担当課は? ⇒ 総務課です。
③同作品は1991年に購入していると思われますが、購入金額は幾らでしたか?
⇒ 手掛かりとなる文書は見当たりませんでしたが、当時の埼玉新聞の記事には 約3,000万円と記載されています。
(今回の記事で挿入した≪飛立容≫の写真は、2019.10.10撮影)
■≪飛立容≫の作者について
清水九兵衛(きよみず・きゅうべえ,1922.5.15-2006.7.21)
彫刻家・陶芸家。日本における彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衛を襲名した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
館の住人(このブログの筆者)は、数年前に京都の某芸術系大学(現在、大学の名称で訴訟騒ぎになっている一方の大学)の通信教育課程に在学していた関係で、卒業までスクーリング等で京都に行く機会が何度かありましたが、〈京都市勧業館みやこめっせ〉の前に置かれた作品をみて、同じ作家の造形作品だとすぐにわかりました。
(作品名≪朱鳥舞≫ 写真は 京都市勧業館HPより)
■いかんともしがたい <芸術的環境の差>
みやこめっせの前に設置された作品≪朱鳥舞≫ですが、京都の岡崎公園近くにあり、周囲には平安神宮の朱の大鳥居、京都国立美術館、京都市京セラ美術館、ロームシアター、あるいはブログ筆者が好む細見美術館などが並ぶようにしてあり、清水九兵衛のアルミ造形作品が置かれていても、全く違和感がありません。それどころか、むしろ心地よい空間が出現していると言ってもよいでしょう。
それに比べると、上尾市役所の前の≪飛立容≫は …???
同じ作家の作品でも、「置かれ方」や周囲の芸術的環境により、救いようのない差がついてしまうのは、仕方がないことなのでしょうか。
もし、この記事を読んでいる中学校の先生がいて、修学旅行の行き先が平安神宮付近だとしたら、生徒たちに伝えてやってください。
「みやこめっせに行って見てごらん。置かれ方と周囲の環境によって、同じ作家の造形作品とは見えないこともあるんだよ」と。
■これから、上尾市はどうするつもりですか。
実は、周囲の環境だけでなく、この作品 ≪飛立容≫ は、写真のように表面は塗装が剥げ、作品全体的にくすみ、劣化が著しい状態です。(2019.10.10撮影)
設置されてから28年経過しているので、やむを得ない点もあるのですが、作家はすでに2006年に亡くなっています。そういう状況でどのように修復したらよいのか、まさかやみくもに塗装業者に依頼するというようなことがあれば、それこそ作品を造った作家のコンセプトを無視することになると思われます。
さて、上尾市としてはこの作品を、どう維持管理していきますか?
今のままだと、自転車を置く目印になっているだけですが…