「何であるか」と「どうするか」

記事No.104

■大学通信教育課程での学び
若い頃に大学生だった時代は、日々アルバイトに明け暮れていたせいもあり、真剣に学んだ記憶がほとんどありません。その反動のせいか、ここ10年ほど、大学の通信教育課程で学んでいます。最初は京都の芸術系の大学で美術史を学びました。ちなみに卒論テーマは[鈴木其一《夏秋渓流図》考]でした。江戸琳派の絵師であり、酒井抱一の高弟でもある鈴木其一の作品を題材にしたもので、関連する美術展に何度も足を運んだ覚えがあります。

今は都内の某大学文学部の通信教育課程で学んでいます。何年か続けていれば履修単位が増えていくのは当然ですが、卒業要件の単位はほぼ取得し、来年9月の卒業を目指して卒論(図書館情報学関連)に取り組んでいるという状況です。

そうした学びを続ける中で、考えさせられることがあります。それは「何であるか」と「どうするか」という二つの〈問い〉です。

■普遍的な二つの〈問い〉
上述の二つの〈問い〉は汎用が可能です。たとえば、「教育とは何であるか」&「どう教えるか」、あるいは「政治とは何であるか」&「政治的課題をどう解決していくか」、「戦争とは何であるか」&「戦争を無くすにはどうするか」など、狭義・広義を問わず、多くの事柄やテーマがこの二つの〈問い〉に収斂されます。

では、ブログ筆者の関心事でもある「(上尾市)教育委員会とは何であるか」&「教育行政をどうするのか」という二つの〈問い〉についてを考えてみます。

■教育委員会とは「何であるか」

(上尾市)教育委員会(事務局を含む)とは何であるか 
※市教委HPと情報公開請求等に基づくブログ筆者の見解を含みます。
🔶上尾市教育委員会は教育長と5人の委員により組織され、教育、学術および文化に関する事項について大所高所からその基本的な方針などを決定します。
🔶逮捕市長が池野氏を教育長に選んだ理由が分かる文書は不存在。
🔶各教育委員が就任の際、なぜその人の名が出たのか、その理由が分かる文書も不存在。
🔶教育委員各氏が自ら企画立案した案件は一度もありません。
🔶上尾市教委は、基本的には市教委事務局の方針を追認する装置であり、議案の採決は過去20年にわたり<全員一致・異議なし>です。
🔶6月からの学校再開の際、臨時の教育委員会を招集すること無しに土曜授業や夏休みの大幅短縮を決めてしまいました。
🔶以前夏休みを1週間短縮した際の教育委員会会議は、市民には非公開とされました。
🔶学校教育部長の学校への異動は上尾小や上尾中(池野氏の上平中への異動は別の理由=逮捕市長の地元への異動)に偏っていますが、そのことの不自然さを指摘する教育委員はいません。
🔶教育長の行状に対するcheck機能(文科省が示すレイマンコントロール)は、教育委員各氏は全く果たしていません。
🔶上尾市教委は各学校に対して「委嘱研究」を強制しており、上平小では本発表の前月、141時間以上の時間外勤務をしている職員がいることが市議会本会議の質問で露見しました。
🔶上尾市教委は給食費の無償化について否定的です(議会答弁)。
🔶市独自の30人程度学級について、市教委は以前高い自己評価をしていましたが、現在はその方針を取っていません(議会答弁)。

以上のように、視点によって様々な面が指摘できますが、「上尾市教育委員会とは何であるか」と問われれば、<基本的に教委事務局の方針を是認したうえで、表面をそっと撫でるような質問や意見を述べ、議案は例外なく全員一致で採択する装置>と定義できるでしょう。

■「では、教育行政をどうするのか」
以上見てきたように、様々な視点から「上尾市の教育委員会とは何であるか」ということについて定義することができます。しかし、子どもたちを学校に預けている保護者や市民にとっては、何と言っても次代を生きる子どもの成長が一番大切です。それゆえ、「教育行政は、これ以上先生方を忙しくしないでほしい」などの保護者や市民の願いを率直に受け止め、改善の方向に向かってほしいと考えるのが自然です。では、そのためにはどうすればいいのでしょうか。

上尾市の教育行政をどうするのか(どう改善させるのか)。
上尾市の教育行政の実態を市民に知らせることです。その方法としては、ブログやツイッターでの発信、市民団体のニュース(紙媒体含む)、学習会、市議会での質問、あるいはテーマごとの署名活動(給食費無償や30人学級実現要求)などが考えられます。
情報公開請求や住民監査請求も有効です。当ブログでも書いてきましたが、情報公開請求は単に文書の存否を確認するものではなく、教育委員会側に市民からの視点に基づくまっとうな指摘を気づかせる役割があります。
市民と教育長・教育委員との懇談を実現させることが必要です。その場合、要望や要求を伝えるのとは別に、教育論に発展するようなテーマ設定が良いと思います。「上尾の教育について」などと範囲を広げてしまうと、中身が薄くなってしまいます。たとえば「中学校の制服は必要か」などであれば、メディアも関心を持つかもしれません。大事なのは、教育問題について市民的議論を巻き起こすことです。

■バランスが大事
今記事で取り上げた二つの〈問い〉で大事なことは、「何であるか」と「どうするか」のバランスを考えることだと思います。とりわけ教育の問題については、ともすれば「どうするか」「どう教育するか」という〈問い〉が先行し、「教育とは何か」という基本的な〈問い〉が抜け落ちる可能性があります。現在の上尾市教育委員会の実態を市民や保護者に知らせ、市教委をより良い方向に向かわせるために、ブログ筆者も引き続きこのことについて考えていきたいと思います。