原市中HPに掲載の『学校だより(校長投稿)』への疑問と危惧

上尾市内の各小中学校で、子どもたちが何を学び、どのような学校生活を送っているのかを知るためには、それぞれの学校のHPの『学校だより』は欠かせません。
これから転居予定の方が「子どもが転入学する予定の学校の状況」を知るためにも必須の情報源だと考えられます。
『学校だより』について市内全校で共通しているのは、巻頭に各学校の校長の投稿文が掲載されていることです。今記事では、私(当ブログ館主)が違和感を覚えた原市中
校長の投稿文についてお伝えします。

No.303

🔸虚偽の史実「江戸しぐさ」を無批判に語る原市中校長
今回取り上げたのは、「江戸しぐさ」に関する校長の投稿文です。

(原市中『学校だより』2023年11月号より)

『学校だより』で校長は、「江戸しぐさの由来は諸説あるようです」と述べています。
「諸説ありますが」と前置きするのは、「自分の主張したいことの正当性は述べるが、それに対する反論・反証には触れない」という、いわば定番の言い訳です。
「諸説ある」と言うのであれば、読み手には反論・反証も示すべきでしょう。

🔸投稿文への疑問
「江戸しぐさ」という用語自体、「NPO法人 日本のこころ・江戸しぐさ」商標登録したものです。NPO法人のHPにはこう書かれています。

NPO法人 日本のこころ・江戸しぐさHPより

町人には書き物が許されなかったために、繁盛しぐさは口伝えで伝えられ、江戸から明治・大正・昭和の時代へと伝承されました。昭和に入り、江戸最後の繁盛しぐさの講師を祖父に持った芝三光氏が繁盛しぐさを整理しまとめ、「江戸しぐさ」と命名し、越川禮子氏に語り継ぎました。
越川禮子氏は、口伝えとして語り伝承された「江戸しぐさ」を文章として残しました。

江戸時代「町人には書き物が許されなかった」という記述に疑問符が付きます。
寺子屋での「読み・書き・そろばん」は、町人には許されなかったのでしょうか?
そんなことはありません。寺子屋は江戸時代の教育機関として、広く庶民に開かれた存在でした。

そう言えば、原市中は「原中寺子屋」なる取り組みをしていたのでは?
以下、2015年の(旧)Twitter 投稿より

NPO法人江戸しぐさのHPにある「町人には書き物が許されなかった」ため「江戸しぐさは口伝だった(=書物に書かれていない)」という説明は非常に疑問です。
史実の裏付けの無い「江戸しぐさ」という名を借りて、校長がもっともらしく子どもたちに「良い話」のように聞かせることはどうなのでしょうか。

次に、『学校だより』で言及されていることについての反論を挙げておきます。

「しぐさ」を「思草」と書くことについての反論    原田実『江戸しぐさの正体』を参照
思草という字面の言葉は実際に近世以前の古語に認められます。しかし、それは「おもひぐさ」と訓じられ、物思いの原因となる物事の意味、もしくは植物の名を示す歌言葉です。
「しぐさ」に「思草」を当てるという発想自体が、古典で思草という言葉に馴染んでいる人からは出てきそうにありません。つまりは古典との馴染みが薄い現代人によって作られた表記であることは明らかです。
「傘かしげ」についての反論      原田実『江戸しぐさの正体』を参照
①江戸では、差して使う和傘の普及は京や大坂に比べて遅れていました。
②江戸っ子たちは雨具として主に頭にかぶる笠や蓑を用いていました。
したがって、江戸で傘を差した者同士がすれ違うという状況が、特殊なしぐさを必要とするほど頻繁だったかどうかには疑問が生じます。
③「傘かしげ」は相手も同じ動作をするという暗黙の了解によって成り立っています。もしも(可能性は少ないですが)「傘かしげ」のような状況になったならば、どちらかが立ち止まって道を譲るなり、傘をすぼめるなりしてぶつかるのを避けたほうが賢明です。
④江戸の商家や職人の家は、道に面したところに明け広げの土間を作り、そこを店頭や作業場、調理場などに用いるのが常でした。つまり、路地で「傘かしげ」をやると、すれ違う相手の代わりに人の家の中に雨水を垂れ流しにするおそれがありました。
以上のことから、傘かしげ」は、実際の江戸の生活では実用性がないうえ、はた迷惑になりかねないということになると考えられます。
「こぶし腰浮かせ」についての反論    原田実『江戸しぐさの正体』を参照
①浮世絵や名所図会(めいしょずえ)などからうかがえる江戸時代の渡し船には、座席にあたる構造がありません。乗客は、腰かけることなく船の底板にしゃがむようにして座ることになります。また、大きな荷物をくくりつけたままの馬が同じ底板の上に乗っていることもありました。渡し船は人を乗せるのに特化したものではなく、むしろ人も馬や物と同様の貨物として運ぶ船だったと考えられます。
「こぶし腰浮かせ」は、現代のバスや電車のように、長い座席がついた乗り物からしか生まれない発想です。そのため、越川禮子『図説 暮らしとしきたりが見えてくる江戸しぐさ』では、江戸時代の渡し船のイラストと言いながら、実際にはない横長の座席を書き込んでいます。
「うかつあやまり」についての反論    越川禮子『「江戸しぐさ」完全理解』を参照  
NPO法人江戸しぐさの元理事長の越川禮子は「うかつあやまり」について、「例えば電車の中で」と書いており、江戸時代のしぐさの例とはしていません。原市中の校長の投稿でも、江戸時代のどのような場面のしぐさであることなのかが示されていません。
また、「誤って相手の足を踏んでしまった時」とありますが、「踏まれたほう(=被害者)も謝る」というのは、「誤って踏んだ」相手が知らない人であることが前提になっていると思われます。
生徒同士の場合にも「うかつあやまり」を引き合いに出すのは、無理があるのではないでしょうか。

ここまでの参考文献:
原田実『江戸しぐさの正体』『江戸しぐさの終焉』以上講談社
原田実『偽書が揺るがせた日本史』山川出版社
越川禮子・林田明大『「江戸しぐさ」完全理解』三五館
高橋昌一郎『反オカルト論』

🔸投稿文をよく読むと
「江戸しぐさの由来は諸説ある」以外にも、『学校だより』には疑問点があります。
「江戸しぐさ流のあいさつ」について、校長はこう書いています。
「…基本だそうです」「…大切であるということでした
つまり、明らかに伝聞なのです。 伝聞であれば、どこで聞いたのか、また、書籍を読んでの感想であれば、著者や書名を明示すべきです。

🔸「江戸しぐさ」と文科省
残念なことに、「江戸しぐさ」は、文科省作成の道徳教材に採用されてしまったという経緯があります。そのことについて、前出の原田実氏は次のように述べています。

原田実『江戸しぐさの正体』より
「江戸しぐさ」は自民党の応援を受けたTOSS(※)を通して教育現場に浸透し、やはり自民党の支持を受ける育鵬社の公民教科書のコラムとして文部科学省の検定を通り、さらに自公連立・第二次安倍政権の下で、ついに文部科学省作成の道徳教材に正式に採用されたわけである。
(※)TOSSとは:
教育技術の法則化運動(Teacher’s Organization of Skill Sharing)の略で教育研究家・向山洋一氏が主宰する団体。
特徴は教育内容のマニュアル化で小・中・高などの教師が多数参加して授業例を用いている。
その教材には「江戸しぐさ」の他にも、独自の「脳科学」に基づく家庭教育である「親学」、水に声をかけて凍らせると言葉の美醜によって結晶の美醜が変わるという「水からの伝言」、意識の持ちようでホルモン分泌を操作し健康を増進するという「脳内革命」など、科学的には怪しいものが目白押しである。

「江戸しぐさ」が文科省の教材となってしまったことについて、元文科省初等中等局長であった前川喜平氏は、次のように懺悔していると『PTAモヤモヤの正体』の著者である堀内京子氏は、自身の (旧)Twitter で次のように投稿しています。


🔸「鵜呑み」にして投稿することへの危惧
今記事では、原市中の『学校だより』への校長の投稿文を取り上げました。
おそらく、校長は「誰かに聞いた」か「本を読んだ」かして、「江戸しぐさ」を例にして「良い話」としたかったのでしょう。

しかしながら、史実としての裏付けの無いばかりか、時の政権が政治的に推し進めた「江戸しぐさ」を「鵜呑み」にして(すなわち、無批判に)『学校だより』に投稿する必要は無かったのではないかと私は考えます。
むしろ、この校長の投稿文を題材にして、《「江戸しぐさ」を批判的に検討する》といった学びこそ、[主体的・対話的で深い学び]と言えるのではないでしょうか。

原市中だけでなく、他の『学校だより』でも「これは変だ」という校長の投稿文が見受けられます。当ブログでは、それらについても取り上げていく予定です。