[学校給食歴史館]に行き、あらためて学校給食について考えました

[学校給食歴史館]という施設をご存知でしょうか。
私(当ブログ館主)はつい最近その存在を知り、2月末に行ってきました。
今記事は[学校給食歴史館]を訪れての印象や、学校給食の関連についてお伝えします。
(当ブログにしては写真が多く、少し長めの記事ですが、じっくりとお読みください)

No.356

🔸[学校給食歴史館]とは? どこにあるの?
当ブログでは、学校給食について何回か記事として取り上げてきました。
学校給食についての読者のみなさんの関心は高く、「これだけある、学校給食の問題点」記事(No.54)だけで1万2千回を超える閲覧数(PV)となっています

私はできるだけ正確な情報を市民などに発信している、ひとりの「市民ブロガー」です。
学校給食に関するブログ記事を発信するのであれば、一度は行ってみて、あらためて学校給食について考えてみたい、というのが[学校給食歴史館]に足を運んだ理由です。

学校給食歴史館]は北本市にあり、埼玉県学校給食会の敷地内にあります。
最近、なるべく歩くようにしている私ですが、今回の訪問は車で行きました。

※桶川坂田の交差点から車で10分ほどで着きます。

(いただいたパンフレットから)
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🔸館内には何が?
[学校給食歴史館]は、こじんまりとした建物ですが、館内は学校給食に関する資料等が年代別やテーマ別に展示されています。
*学校給食の歴史年表

*年代別給食サンプル展示
*埼玉県の農産物展示
*学校給食調理コンクール
*学校給食用食器
などが見やすく展示されています。
私が訪問した時は、視察に来たとおぼしき先客が1人いました。

🔸館内の展示から
館内は、写真撮影はOKとなっています。
以下は、私が撮った写真です。

(↓ 初めての学校給食 1889(明治22)年 おにぎり・塩鮭・菜の漬物)

(↓ 1964年 揚げパン・脱脂粉乳・おでん)
※脱脂粉乳が美味しくないので、甘い「小倉ミルク」もあったとか…(先輩からの話)

(↓ 1985年 ビビンバ・キムチ風漬物・ゼリー・スープ・牛乳 ※韓国風給食)

(↓ 2021年 学校給食調理コンクール 地産地消部門 さいたま市立本太中学校)
※地産地消の食材=れんこん・小松菜・さつまいも

(↓ 2023年 学校給食調理コンクール 地産地消部門 毛呂山特別支援学校チーム)
※地産地消の食材=ゆずジャム・いちご・豚肉・油揚げ

(↓ 福島県喜多方市の学校給食用漆器 ※1999年、使用開始当時の仕様)

(↓ R6 学校給食調理コンクール 作品一覧 地産地消部門より)
※館内に置いてあるパンフレットより

地産地消部門◎上尾市立中学校給食共同調理場チームの作品もありますね。

🔸学校給食についてあらためて考える機会に
上で述べたように、初めて行った[学校給食歴史館]ですが、やはり、あらためて学校給食について考える機会となりました。

学校給食について考えたり議論をする際には、「どのような視点で学校給食を捉えるか」が重要だと私は考えています。もちろん、その「視点」とは、正確なデータや資料に裏付けられたものでなくてはならないのは当然です。

上尾市の現状を見ると、様々な問題点が浮かび上がってきます。
私が考える学校給食に関連した問題点を挙げてみます。

《市教委が今すぐにやらなければならないのは、小学校の給食調理室の改修》
*上尾市教委が今すぐにやらなければならないのは、小学校の給食調理室の老朽化や、急を要する施設・設備の不具合を抜本的に改修・修繕することです。
(以下、ばんどうともこ議員のブログ記事より)
*築49年の建物ですので、床の中心部が下がってしまっていたり、ゆかが滑りやすいとのことでした。また、下処理調理の泥水が上処理調理場に流れてきてしまうようで、水かきが大変とのことでした(西小)。
*困っていたことは、水道管がサビているそうで、お湯が出る水道からサビが出た際、お釜に入らないように、毎回(毎日)フィルターを付け替えているとのことです(東小)。
まず、こうした現状を市教委は何とかすべきでは?
*給食調理室に入ったことがある人(児童生徒・保護者・一般市民)は、ほぼいないと言えるでしょう。ばんどう議員のブログにも、視察で給食調理室に入るためには、衛生検査が必要だったと書かれています。私たちが考えているより、給食調理室の衛生基準は厳しいと思われます。それだけに、教育委員会は施設や設備の保全に尽力すべきなのです。
《『上尾市学校給食施設基本計画』の策定と市長の「公約」との関係》
*今年1月の教育委員会定例会で『上尾市学校給食施設基本計画』が、教育委員の「全員一致・異議なし」で策定されました。
※「全員一致・異議無し」は上尾市教育委員会定例会・臨時会における、教育委員のお歴々による、言わば「得意技」。20年以上、この「得意技」を使っていて、例外は全くありません。
*一方、今月になって上尾市長は「市長公約2期目3年目に係る上尾市の取り組み状況」なるものを公表しました。その中に、シレっと「上尾市学校給食施設基本計画を策定」とあります。
しかしながら、もともと市長公約には「学校給食」の「が」の字もありません
このことを市民は忘れてはならないでしょう。※下記(検証)を参照してください。

(検証)「市長公約(2期目)」と「上尾市の取り組み状況」
【↓ 市長公約(2期目)】

【↓ 市長公約(2期目)に係る上尾市の取り組み状況】

このとおり、市長公約(2期目)は「学校施設の更新計画はいったん凍結し、再編案をゼロベースで見直し、良質な教育環境を実現」でしたが、「市長公約(2期目3年目)に係る上尾市の取り組み状況」では、いつのまにか「上尾市学校給食施設基本計画の策定」が入り、「★★★達成」となっています。
『上尾市学校給食施設基本計画』には、「上尾市学校施設更新計画基本計画と連携」とは書かれていますが、別の計画です。しかも市長公約(2期目)には、学校給食に関することはひと言も書かれていません

以上、数々ある問題点の中から、2つ挙げてみました。

🔸自治体によって違いがある給食の提供方式
給食の提供方式は、学校給食の問題を考えるうえで重要です。
私は、県教委の学校給食担当部署から、埼玉県内の学校給食提供方式についての最新の情報の提供を受けました。

※下部に改ページ機能あり。全3ページあります。
学校給食提供方式 

この表の中で、素朴な疑問が生じます。

小学校で「自校方式」と「センター方式」が半々の川口市や、小学校3校だけが「自校方式」の朝霞市(つまり、小学校の給食提供方式として、自校・センターが混在している)では、児童や保護者の給食に対する評判は、実際のところどうなのでしょうか?
中学校4校を「センター方式」から「自校給食」に変えた北本市は、議会の会議録では「防災のための避難所とする」という理由で「自校給食」を選択していますが、別の理由もあるのでしょうか?
「あったか市政」頼高市長の蕨市。「全小中学校がセンター方式」の学校給食について、児童生徒や保護者・市民はどう考えているのでしょうか?(このことについては、回答をいただけそうな議員(団)にメールで質問をしたところ、以下のような丁寧な返信が届きました)
Q.蕨市では、小・中学校ともに現在センター給食ですが、児童・生徒や保護者からのセンター給食への評判はどうですか?
A.学校での評判は概ね良好と聞いています。児童・生徒からは、「プリンなどのデザートの回数が少ない」などの声は耳にしたことはありますが、農地が極めて少ない蕨市においても地元産の野菜を使うなど地産地消に努めているほか、給食センターと連携した食育も行われています。
Q.蕨市議会の会議録を検索すると、自校給食の必要性を訴える質問は2006年以降見当たりませんが、現在のセンター給食についてのお考えを聞かせてください。
A.自校方式に移行できない理由として、各学校の敷地が狭いことや、これまで自校式での給食提供が行われてこなかったために配管などから整備する必要があることなど、給食調理室整備にかかわる課題が大きいことがあげられてきたと記憶しています。自校式の良さは理解しているつもりですが、現時点では、給食無償化の推進などが当面する課題だと考えています。
Q.蕨市で、自校給食を求める市民運動(活動)はどのようになっていますか?
A。運動としては蕨市内では行われていないと思います。

県教委からの情報提供による資料や、蕨市への質問に対する回答から、私は次のことが明らかになったと考えています。

◎学校給食の提供方式や「地産地消」の取り組みは、県内自治体によって様々であり、それぞれの地域の抱える事情などから、市民の要求も到達点も違っている。

🔸「地産地消」をどうすすめていくか
今記事では、「学校給食歴史館」の訪問によって、あらためて学校給食について考える契機になったことや、私が考えている学校給食の問題点等をお伝えしました。

このほか、今記事を書く参考として、学校給食に関する著作を2冊読みました(下記)。
松丸奨(まつまる・すすむ)『給食の謎』幻冬舎、2023年
新村洋史『世界の学校給食・食育の歴史』績文堂、2024年
※以上2冊とも、上尾市図書館に蔵書があります。
それぞれの著作がひとつの記事になるくらい興味深かったです。
(いつか、読んだ感想を含め記事にしたいと考えています)

また、私が重視している「地産地消」をどう学校給食に反映させていくかも含め、当ブログでは引き続き学校給食に高い関心を寄せていきます。