学校での「いじめ防止」に逆行する、細野教育長職務代理者の<識見>とは

上尾市教委が定めた「いじめ防止等のための基本的な方針」には、「いじめの未然防止」や「いじめの予防」ということで学校が取り組むべき方針が示されています。
ところが、教育長が「事故または欠けたとき」のために教育長職務代理者となっている細野宏道氏は、市教委の「いじめ防止」の方針とは真逆な持論を得意げに披歴していることが明らかになっています。今記事では、上尾市教委の基本にも関わるこの問題をお伝えします。

(教育長職務代理者とは?)
※地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行法)
第13条 教育長は、教育委員会の会務を総理し、教育委員会を代表する。
2 教育長に事故があるとき、又は教育長が欠けたときは、あらかじめその指名する委員がその職務を行う

No.130

🔶細野教育長職務代理者の持論とは
2020.10.02 に開催された上尾市教育委員会第2回臨時会の会議録によれば、教育長職務代理者である細野宏道氏は、平方幼稚園の問題に関連して、次のように発言しています。

細野教育長職務代理者の発言(2020.10.02 教育委員会第2回臨時会)
まず、少人数の教育を看過できないというのは、この前、9月17日の保護者の意見交換会に出席をさせていただいたときも述べたんですけれども、あの時はドラえもんの話をして述べたのですが、ジャイアンがいる、そしてのび太がいるという社会でないと、子供達は育っていかないと、そうなると少人数の教育を看過できないということは、まさしくその通りだなと思います。ある程度の人数がいる中で、子供達の社会を作らせる。その社会の中で、教育の中身をしっかりやっていくことが教育委員会が責任を持ってやるべき教育だと思っています。

この中の細野氏の下線部の発言「ジャイアンがいる、そしてのび太がいるという社会でないと、子供達は育っていかない」については、細野氏自身が「9月17日の保護者の意見交換会(注:平方幼稚園問題での保護者と教育長・教育委員等との意見交換会のこと)に出席をさせていただいたときも述べたんですけれども」と説明しています。9月17日の発言とは、請求人が入手した記録によれば、次のようなものです。

平方幼稚園保護者との意見交換会での細野宏道氏の発言(2020.09.17)
ドラえもんの中には、ジャイアンがいてのび太がいますけれども、あれは何かというと、僕は子どもの社会だと思っています。すなわち言葉は不適切かもしれませんが、いじめるような子もいて、いじめられるような子もいてそれをどこか抑える子もいて傍観している子もいる。すなわちいろんな子どもたちがいるというのがやはり小学校幼稚園は重要だと思っています。

細野氏が9月・10月の会議の席上、二度にわたって「ドラえもん」の登場人物の話をしているところを見ると、細野氏にとっては、よほどこの話がお気に入りなのでしょう。それと同時に、「いじめるような子もいて、いじめられるような子もいてそれをどこか抑える子もいて傍観している子もいる。すなわち、いろんな子どもたちがいるというのがやはり小学校・幼稚園は重要だと思っています」ということに教育長職務代理者として確信を持っていると考えられます。

🔶市教委による「いじめ防止」
一方で、上尾市教育委員会は「いじめ防止等のための基本的な方針」を定め、「いじめの根絶へ向けた取組の推進」をすすめていることは周知の事実であり、「いじめの未然防止=早い段階でいじめの芽を摘む」ことを謳っています。
こうした細野氏の発言を踏まえ、ブログ筆者は、次の点について情報公開請求をおこないました(担当は市教委指導課)

細野宏道教育長職務代理者が述べている「いじめるような子もいて、いじめられるような子もいてそれをどこか抑える子もいて傍観している子もいる。すなわちいろんな子どもたちがいるというのがやはり小学校・幼稚園は重要だと思っています」(つまり,小学校・幼稚園には、いじめる子がいることが重要)という主張と、上尾市教育委員会による「いじめの根絶へ向けた取組の推進」(いじめは見逃さない、いじめの未然防止などを含めた、いじめ根絶の取組)とに齟齬(そご)が生じない(すなわち両立する)ことが判別できる文書・資料等。

結果は、「文書不存在」。すなわち、「小学校・幼稚園には、いじめる子がいることが重要」という細野氏の持論と、「いじめは見逃さない、いじめの未然防止」を謳う上尾市教委の方針とには、明らかに齟齬が生じている(=決して両立はしない)ということになります。

重要なのは、「いじめ防止のための基本的方針」は、上尾市教育委員会として発出していることです。もともと、「上尾市教育委員会」とは、教育長&教育長職務代理者&教育委員の合議体で、それに加えて教育委員会事務局があるのは自明です。
つまり、細野氏は「いじめ防止のための基本方針」を教育委員会の一員として発出しておきながら、上述のように「小学校・幼稚園には、いじめる子がいることが重要」という持論を得意げに語っていることになります。

地教行法では、次のように定められています。
第4条 教育長は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育行政に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。
2 委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。

細野教育長職務代理者が有している地教行法で謳う「識見」とはどういうものであるのか、今記事でお分かりになったのではないでしょうか。

上尾市教育委員会の不都合な真実がまたひとつ明らかになりました。

“学校での「いじめ防止」に逆行する、細野教育長職務代理者の<識見>とは” への2件の返信

  1. 教育現場における、いじめの問題とその対応には、大人によっては価値観の差があると思う。しかし、教育行政としては、ブログ主が指摘するように、議論の余地なく統一的な結論が出ていることであり、社会もそれを認めている。
    ところが、『いじめる子も、いじめられる子も、それをどこか抑える子も、傍観している子もいる。いろんな子どもたちがいるというのがやはり小学校・幼稚園は重要だと思う』 という細野宏道氏が披露する「いじめキャスト」言説は、明かにムリがある。
    昔、教育委員会のメンバーには市民に語れる「教育論」が見えない、と下に書いた。
     「追認機関?、委員は名誉職?」https://domex.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-0b60cd.html
    出てきたらこんな内容とは驚いた。堂々と披露しているのだから、この人の価値観なのだろう。
    仮に、細野氏が「性格の多様性」の中で揉まれることが人間教育には大切だと思っていても、今の時代は細野氏のような高齢者が育ってきた昭和の価値基準では語れない。つまり、相手の人格を否定するような性格は小さいうちから直しましょうね、というのが今の教育、と私は想像する。

    話しは教育現場のことだが、上の『いじめキャスト』言説を、「差別」、「セクハラ」、「パワハラ」などの言葉に置き換えた時に、自分の生活圏である大人社会でも通用するのか、と問えば、答えは自明だろう。ついでに言えば、子供時代にいじめをした子、いじめられた子は、大人になってから上の「三つ」へ成長することもあるのでは、と危惧する。

    教育行政の指針に反することを、教育論みたいに開陳してしまった。父権的に家庭内で語る分にはいいけど、これは失言ではなく価値観だから教育委員会のナンバーツウには適さないと思う。国や県レベルならテレビで取り上げられそうだ。任命権者はこの問題の妥当性について応える義務がある。
    この十月に知ったのだが、「ジャイアンはトランプ、スネ夫が安倍晋三」という人間関係の比喩は的を射ている。細野氏は、人物設定を「子供社会のこと」と言うが、あれって人間社会の縮図だと思う。だから普遍性があるのだろう。
    細野さんのポケットから出てきたのは昭和だったな・・・。

    1. 市教委の欠陥のひとつは、「教育長や教育委員就任の不透明性」にあります。
      なぜ、どこから細野氏の名前が出てきたのかについて開示を求めても「文書不存在のため非公開」。
      たとえ市議会で承認されたとしても、単に追認したに過ぎません。
      思い切って教育委員を公募したらよいのではないかと思っています。

      情報公開請求の際、指導課の職員が「指導課としては、そうした(細野氏の発言のような)考えには立っていません」と苦し気につぶやいていたのが印象的です。

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