日々の所感 -こんな今だからこそ読んでみたい小説-

 今記事では、明後日(11/10) に東京都内で予定されている、天皇の交代を喧伝するパレードを念頭に置いて読んでみたい小説(柳美里『JR上野駅公園口』)について書いていきます

記事No.38

■小説のあらすじ
 柳美里(ゆう・みり)の小説『JR上野駅公園口』に登場する主人公は、1933(昭和8)年生まれ、福島県相馬郡八沢村出身です(1933年とは、前天皇の〈明仁〉と同じ年の生まれである点に要注目)。
 12歳で終戦を経験し、国民学校卒業後いわき小名浜漁港で住み込みでのホッキ貝採り、北海道浜中での昆布の刈り取り労働などの後、1963(昭和38)年には、東京に出稼ぎに来ています。仕事は翌年の東京オリンピックで使用する体育施設の土木工事でした。
 男には弟妹が7人います。妻の節子との間には浩一と洋子の二人の子がいますが、家族はとにかく貧しい生活を送ってきました。息子の
名前である浩一の「浩」の字は、同じ日に生まれた「浩宮」から一字取ったものです(浩一の生年月日は1960年2月23日、つまり現天皇〈徳仁〉と同じ日の生まれというのがふたつ目の注目点です)。
 この小説は、極貧の生活の中で郷里の家族を養うために出稼ぎを繰り返してきた、ひとりの男の人生を描いています。男にとって、突然訪れた一人息子である浩一の死は到底受け入れられないものであり、続いて妻をも亡くしたことから、生きる意味を失っていきます。
 男はその後上野「恩賜」公園でホームレスとなり、そこで天皇家の人々が博物館や美術展に来る際などに≪山狩り≫と称するホームレス排除を目の当たりにします。そして最期は山手線内回りの電車に飛び込んでの自死、ラストは、孫娘までが東日本大震災の犠牲になる様子が描かれています。小説の最初から最後まで、絶望的な貧困と、生まれながらの環境による〈不条理〉が描かれている作品です。

■上野公園での「山狩り」
 美術館や博物館などが多いこともあり、天皇家は頻繁に上野公園付近を訪れています。この小説の中では次のように書かれています。

 「天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に行われる特別清掃「山狩り」の度に、テントを畳まされ、公園の外へ追い出され、日が暮れて元の場所へ戻ると「芝生養生中につき入らないでください」という看板が立てられ、コヤを建てられる場所は狭められていった」

 作者の柳美里は、小説の中で、声高に天皇制に対して異を唱えているわけではなく、地道な取材に基づいた事実を淡々と描いています。この作品の「あとがき」で柳美里は次のように述べています。

「2006年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓(注:天皇の外出)直前に行われる「特別清掃」取材を行いました。「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施一週間前、二日前の時もあるということです」

 このことに関連して、「台東区が路上生活者の避難所利用を拒否」という出来事がありました(概要はこちら)。「明らかな格差で、命に差別をつけている」ということから批判を浴びました。
そして、報道されることはないものの、上述の「山狩り」はいまだに継続されているだろうことは、容易に推測できます。

■「天皇交代披露のパレード」の陰で
 おそらく、11/10の夜のニュースでは、パレードの様子と、誰が配っているかもわからない(推測はつきますが)日の丸の小旗を振りながら”感激”した観衆の声を流すことでしょう(館の住人=このブログ筆者は、そのような報道は見ないようにしていますが)。
 国民の受け止め方は様々なので、めでたいことであると考える人もいるでしょうが、ブログ筆者にとって、「天皇の交代を祝わなければならない」という空気は、何かとても居心地が悪いように思えます。
華やかなパレードの一方で、路上生活者の生存権が脅かされていることも、忘れてはならないと思います。

■天皇を意識したと思われる、行事などでの「礼」
パレードほどあからさまではありませんが、様々な場面で、天皇を意識したとしか思えない振る舞いが目につきます。例えば、学校行事(入学式や卒業式など)で、ステージの後ろには日の丸が掲げられています。あいさつのために登壇した校長は、まず、そちらに向かって一礼します。明らかに日の丸に「礼」をしているわけです。
「何に向かって頭を下げているだろう?」と思う間もなく、式は「厳粛に」進んでいくので、参列者は疑問を抱く暇もありません。
こうした「儀式的行事」で、参列者が「おかしいのでは?」と声をあげることは、ほとんど無理な空気が支配するのです。

 小説『JR上野公園駅口』は、ホームレスの人たちを排除する事実や、天皇に対する祝意を半ば強制する雰囲気の危うさを、柳美里の淡々とした語り口で私たちに突きつけている小説ではないかと思います。天皇の交代を機に様々な行事が「これでもか」と組まれている今だからこそ、読む価値のある作品です。

これから市議を目指す方に実現してもらいたい、上尾に必要な教育政策

 上尾の池野教育長は、自らは休暇届を出さずに公的予定表には「お休み」などと記入させる一方、学校の教職員には「厳正な服務規律を」などと厳しい通知文を何度も発出し、かと思えば政治的中立が強く求められている立場にもかかわらず「市議会特定会派(旧新政クラブ)との夜の懇親会」に出るなど、「本当に教育長のすることなの?」との疑念が生じていました。
直近では、9月の教育委員会定例会で、なんと、自分の行状について指摘されている議案にもかかわらず、厚顔無恥にも自ら司会進行し、教育委員もそれについて何も言わないという事実が会議録で露見しました。
(これについては、地教行法(※)14条第6項に抵触している可能性が大であると指摘されています)
  (※)地教行法=「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」

 館の住人(このブログの筆者)による住民監査請求の結果、「休む時は休暇届等を提出する」など、当たり前のことが少しだけ改善されるようになりました。そんな態度の池野氏に何も言わず、質問すらしなかったのは、教育委員のお歴々ばかりではありません。
市議会で質問ひとつせずに
<全員一致>で再任を認めた今の議員のみなさん方には失望を禁じ得ません。

 次に市議になる方には、「上尾の教育行政のどこがいけないと言われるのか」をじっくりと検証したうえで「現状を変えるために必要なことは何か」を提案していっていただきたいと思います。

記事No.37

■余裕ある学校現場にするために
 「教員はとにかく忙しすぎるので、何とかならないか」という意見や、「先生方が今よりももっと子どもたちと向き合う時間が必要」という意見は、今や市民はもとより、国民的課題とも言えます。
ただし、その対策はと言えば、残念ながら上尾では「その場しのぎ」(実効性のほとんど無いお盆のときの学校閉庁や、市内で2名だけのスクールサポートスタッフの配置などというのが実態であり、とても根本的な解決策になっているとは言えません

市内の学校の先生方が忙しい原因は、大きく言って次の二つです。

①上尾市教委からの不必要な指示や提出書類が多すぎること。「委嘱研究発表会」とその準備等が典型。

②文科省で定められた標準授業数を大幅に超えての授業数。学力向上の効果無し。成績は横ばい状態。 

<余裕ある学校とするための具体的な施策とは?>

■現在、3年サイクルで市内の各学校に有無を言わせずに実施されている「市教委による委嘱研究発表会を任意の希望制にあらためる」ことです。それには、上尾市教委事務局指導課に現在11名置かれている「指導主事」を6名に減らすことです(減った人員は、制度上自動的に学校に配置されます)。

市教委による「委嘱研究発表」が<希望制>になっても、学校現場は全く困りません。むしろ、学校現場では市教委からのプレッシャーが無くなり、余裕が生まれることは確実です。このことは、残念ながら、現市議の方々からは、一度も提案されていません。

■現在大幅超過状態にある年間授業時数を、文科省が定めた年間授業数まで適正化します(現状は、校長はやたらと「年間授業数」という〈数字〉ばかり気にします)。適正化により、先生方に真の意味で余裕が生まれ、子どもたちと向き合う時間を増やすことができます。なお、「学力」が下がる心配はありません。むしろ今よりも余裕を持って授業の準備に時間を使えるので、「学力」の向上が期待できます。


■市民活動家による教育政策への補足

  今の現職議員たちに期待できないとしたら、市議会には市政や教育行政に対する監視の目が必要です。その代表でもある、図書館問題や住民監査請求で知られる市民活動家の宮入さんの政策(こちら)を補足するとしたら、次のようなことが考えられます。

学校選択の自由について
 すぐ目の前に学校(他市)があるのに、徒歩30分以上かけて上尾市内の学校に通わなければならない地域があります。これは児童・生徒にとって大きな負担です。学区の選択制など、柔軟な対応をするため「上尾市立小・中学校通学区域検討協議会」での緊急の課題とし、市境撤廃を視野に入れた論議の場を設定する必要があります。

■小中一貫校について
従来の市議会等の答弁や見解をよく検証する必要があります。

○2018(H30)年3月 保坂教育総務部長の答弁から
「今後、学校施設更新計画を策定していく中で、魅力ある学校づくりや学校規模の適正化という観点からも検討してまいります」

◎この答弁にある「検討」がどの程度進んでいるのか市教委に確かめることが必要です。柔軟な通学区の実現のためには、まず、小中一貫校のメリット・デメリットの検証をする検討会議の設置が必要です。

■置き勉問題
 これについても、市議会答弁などをよく検証する必要があります。

○2018(H30)年9月 今泉学校教育部長の答弁から
「児童生徒の荷物が登下校の負担となっている場合があることは認識しておりますので、対策について検討してまいります」

◎「その後どう検討し、どう具体化していくのか」を市教委に確認していくことが重要です。児童・生徒の物理的な負担を軽くするために、各教室に鍵付きロッカーを設置するのは、すぐにでも可能です。

 

■<教育機関>としての図書館行政の見直し
 宮入さんの図書館行政の政策は「築39年の図書館本館は、椅子の買い替えやテーブルの配置替えなど、インテリアの変更で滞在空間を広げます。それほど予算をかけずに、高齢者の居場所づくりや、学習をサポートするための機能を充実させます」という内容です。

 図書館行政についての政策は、ブログ筆者は、次のように補足提案したいと思います。

残念ながら、上尾には図書館法による専門的職員としての「司書」&「司書補」が置かれていません(前記事上尾の図書館をもっと充実させるには、法律で定められた専門職員を置き、専門的見地から市民のための〈図書館奉仕〉に取りくむことが重要です。
また、文科省の告示で示されているとおり、専門性を高めるためにも、図書館長には〈司書有資格者〉を配置する必要があります

■カウンター業務担当者については、現行の上尾都市開発(株)への業務委託から、上尾市の直接雇用に改めます(担当者のシフト業務の円滑化のためです)。

■現在、週に1~2回程度の頻度で各小・中学校に配置されている、非正規の「図書館支援員」を、市費負担の正規職員とさせます(岡山市の実践に学ぶことが有効です)。

■『上尾市図書館要覧』から、理由も無く昨年度から突然削除されてしまった「上尾市図書館の基本理念」と「図書館の自由に関する宣言」を復活させます


■「教育長」・「教育委員」選任についての見直し
■以前の記事にも書きましたが、池野和己氏は、逮捕前の島村前市長が指名し、教育長に就任しています。
その経緯について情報公開請求しても、文書不存在として扱われます。就任後は今記事の冒頭にあるような服務関係のデタラメさなどが目立つ人物であり、住民監査の対象となった岩手への「出張」には数々の疑念があります。
ブログ筆者は「9月の教育委員会議案が非公開とされた件で教育長に直接お伺いしたいので、電話を取り次いでほしい」と伝えたところ、市教委事務局(教育総務課)の拒絶にあいました。池野氏は、市民と直接話をするのは拒否しているようです。
教育長として市民から直接話を聞く機会が無いとすると、結局は市教委事務局からの「忖度話」か、あるいは抑制的なことは何も言わない教育委員との話ばかり聞くことになってしまうのではないでしょうか。
教育長には、市民と対話する機会を設けることが絶対に必要です。

■教育委員についてですが、例月の教育委員会定例会の会議録を見てもおわかりのように、会議の中で本質的で活発な議論がされているとは、全く言えません。
また、法定の「点検評価報告書」では「識者の意見」を求めることになっていますが、その「識者」に前の教育委員であった吉田るみ子氏は絶対に充てるべきではありません。教育委員のみなさんは、これが「身内の、身内による、身内のための点検評価報告」になっているのがわからないのでしょうか?
教育委員の資質が問われますが、「教育委員となった経緯が判別できる文書等」の情報公開を求めても、「文書不存在」の処分がされます。
教育委員に就任または再任の際は「教育委員として上尾の教育行政にどうかかわっていくのか」という論文を書いてもらい、市民に公表すべきです。

 とりあえず以上ですが、今後の市議会においては、新しい議員となった方から、以上述べたような観点に立った質問や提言がされることを期待しています。

神戸・教諭暴力事件/上尾との共通点は?

 神戸市立東須磨小学校の教諭4人が、数年間にわたり、同僚の若手教員4人に対して集団いじめ・暴力行為・パワハラ・セクハラ行為を繰り返し、うち1人を休職に追い込んだという事件が表面化しました。
今回は、この事件について、「上尾で起こらないとは言えない」という視点で考えてみたいと思います。

記事No.36

■事件の要因は重層的なもの
 神戸の事件は、多くのメディアやネットで、相手が嫌がる様子を写した動画も含めて流されていますが、事件の全体をおおむね伝えているのは、こちらの記事だと思います。
事件に対しては、識者や世論の大半の意見が「刑事事件なので厳罰に処すべきである」というものであり、また、加害者が「有給休暇」で給与が支払われていることに市民からも批判が噴出し、神戸市長も急遽給与の差し止め条例を市議会に追加提案するという事態になっています(10/28議案提出、10/29成立見込)。

 では、なぜこのような事件が実際に起きたのでしょうか?

 まず、事件の要因として言われているのは、前記事のコメントでも言及されたように、「神戸方式」と呼ばれる、校長同士が相談して、気に入った先生を引き入れ、それを教育委員会に追認させるといった特殊な人事異動システムです。つまり、異動してきた者が、校長の威厳を笠に着て他の職員に強く出る、という構図です。

 言われているように、この「神戸方式人事」が事件の要因となっていることは間違いないでしょう。校長が後ろ盾になっていれば、引っ張られた教員の発言力も増すでしょうし、強く言われた相手が校長に「直訴」しても、校長は味方になってはくれないでしょう。

 さらに、事件に至る要因は次のようなことが考えられます。

*加害者とされる4人の教諭は、学校では「いじめ担当」や「学年主任」、「若手教員への指導役」などを担っていたこと(=主任制や校務分掌など、校内での職員の序列化の問題

*東須磨小は、2017年度に人権教育推進の「研究指定校」となっており、当時の校長が、小学校教員でつくる「人権教育部会」セミナーに積極的に参加していた主犯格のひとりである男性教諭を「神戸方式」で同校に赴任させたと指摘されていること。
(=「研究指定校」の弊害の問題

*現校長も前校長も、同じ学校で教頭から校長になっていること。
(=教頭時代から職員室での加害者の行状を知っており、そのまま校長になったのであれば、加害者には強く指導できないこと)

*被害者の教諭が昨年度、当時の校長に被害を訴えたが、逆に「お世話になっているのだろう」と威圧されたばかりか、逆に被害者に対して高圧的に叱責したり、飲み会への強要などのハラスメントがあったと指摘されていること。
また、複数の同僚教員がこの問題に気づき、昨年度の校長に訴えたが、加害者グループが校長からその指導力を評価されていることなどから、<事実上もみ消しがあった>と指摘されていること。
(=校長の資質の問題

(追記)
 各新聞等報道によれば、神戸・東須磨小の前校長は、現在「体調不良」で休んでいますが、11/1 付けで市教委事務局に異動になる見込みだそうです。何か都合が悪くなると、市教委に「かくまう」のは、常套手段です上尾でも、校長や教頭に何かあれば、市教委事務局にいる「待機組」が着任するのは、市教委内部での言わば「常識」です。
つまり、たえず余剰人員を抱えているとも言えます。

*市の教育委員会事務局の指導主事と、現場の校長の親和性が極めて高いこと。(=指導主事と校長との「ズブズブの関係性」の問題

 こうした重層的なことが、今回の神戸の事件の要因として挙げられますが同様の事件が上尾で起きないとも限らないという視点から考えていきたい思います。

■一般教職員の声は校長や教委に届いているか
 上尾の小・中学校で「日々子どもたちと向き合って授業をしている先生たちの生の声が、果たして市教委に届いているのか」という問いに対しては、残念ながら現状では
“NO” と言わざるを得ません。

 たとえば、2019.03.06の上尾市議会「文教経済常任委員会審査」において、次の質疑がされています。

◆委員(糟谷珠紀)  上尾市では既に中央小学校でタブレット端末を入れて、LAN環境も整備されているところで、実証実験みたいな形で先行してやってきたと思います。これを使っている現場の教員の中で、例えばそれが研修時間がすごく多くて大変だとかいう声は届いているのかどうか(お伺いします)。

◎副参事兼指導課長(瀧沢葉子)  指導課です。まず、教職からそういう声は届いているかということについては、届いておりません

 このやりとりから何がわかるでしょうか。

 糟谷委員が「現場の教員の声が(市教委に)届いているか」という質問に対して、瀧沢指導課長(今年度は学務課長。以前は校長)は、「届いておりません」と答えています。これは「現場の教員の声は、各学校の校長が把握したうえで、市教委事務局に伝える」という、言わば校長と市教委との間での<了解>に基づいての答弁と言えます。つまり、現場の声は校長を通じてしか市教委には届かないし、もし校長が言わなければ、現場の声は反映されないということになります。

 そこで問題になるのは、瀧沢課長もそうですが、上尾市教委事務局には、校長であった者が指導課長やら学務課長やら学校教育部長に就いており、最後に退職する際には(退職金をどこが支払うかということがあるので)学校現場に戻るという、言わば<親和的システム>とでも呼ぶべき仕組みが出来上がっていることです。すなわち、校長は市教委事務局に異動する可能性があるので、自分に不利にならないように立ち振る舞うことになります。

 先の上尾市議会「文教経済常任委員会審査」のやりとりで、「現場の先生の声が届いていない」というのは、「校長からそのような話を市教委事務局は聞いていない」という意味なのです。もし、学校現場の先生から質問なり要望があったとしても、校長がそうした声を市教委事務局に伝えることは、まず無いでしょう。

なぜなら、校長と市教委事務局とは「ズブズブの関係性」となっており、これは上尾も神戸も同様だと思われます。自分が市教委事務局に異動したときのことを考えれば、現場の要望をそのまま伝えることは「自分で自分の首を絞めることにもなりかねない」と校長が考えても、決して不自然ではないのです。

 市教委事務局と校長との関係性が以上のようなものであれば、神戸のような事件が起こっても、最初から全てを校長が市教委に伝えるとは思えません。上尾と神戸の「近似性」が指摘できる所以です。

■「研究指定」の弊害
 神戸の事件で、「やはりそうなのか、上尾と似ているな」と思わ
せることに、「研究指定」の弊害の問題があります。
東須磨小は、2017年度に人権教育推進の「研究指定校」となっており、当時の校長が、主犯格の男性教諭を、人権教育に熱心であるという理由で同校に赴任させたと指摘されています。

 事件を見ても明らかなように、残念ながら「人権教育を推進している者自身が、人権感覚を持ち合わせているわけではない」というのが実態です。いくら人権教育に熱心であっても、加害者としてとった行動は常軌を逸しており、人間としても許されない行為です。

 上尾では毎年、市内の学校数(33校)の3分の1にあたる11校が強制的に何らかの研究指定の発表をさせられています。
3年に一度と言いますが、発表の前年はプレ発表ということですから、たえず「研究指定」のプレッシャーに晒されています。

 また、「指導」に各学校に来る「指導主事」は、たとえば小学校の経験しか無いにもかかわらず、中学校のベテランの先生を「指導」するといった、<指導主事の資質の問題>も指摘できます。

 とにかく、学校現場に余裕を与えない」「校長が何も言わないので、現場の不満や要望など無い」というのが、今の上尾市教委の姿勢であり、教員の長時間労働を(表面的な対処療法ではなく)根本から解決しようとしない教育行政となっているのが現状なのです。

■上尾で必要なことは
 今記事で述べてきたように、事件の要因は複合的なものになっています。では、神戸のような事件が起きないようにするためには、上尾ではどうしたらよいのでしょうか。

(1) 自由にものが言える雰囲気が大切
 教員にとって大切なのは、一にも二にも授業です。校長や教頭は担任として子どもたちの前に立つことはありません(自ら放棄したとも言えます)。学校で最も重要なのは、いかに教員が自由な雰囲気で、しかも余裕をもって子どもたちに向き合えるかなのです。その意味で、学校内での「権威の序列」は必要ありません。校長はあくまでも「職務上の上司」であり、教頭はその補佐役です。
 学校で目指すべきは、「わかる授業」をいかに教員が他の職員とつくりあげることができるか、ということではないでしょうか。

(2) 強制的な「研究指定」を、選択制にすること
校長はその親和性から、市教委事務局が言うことに唯々諾々と従います(情報公開請求で検証済)が、強制的な「研究指定制度」が無くなったとしても、学校は少しも困りません。
校内でお互いに授業を見せ合い、ともに学ぶ必要があることは否定しませんが、その際、「指導者」を呼ぶのでしたら、学校側が選んだ方を呼べばよいのです。
同様に、強制的な「研究指定」などは止めて、希望制にすれば良いのです。「指導主事」がその指導力を見せたいのであれば、手本となるような「世界一受けたい授業」を実際にやって見せることです。
(上尾の指導主事の中にそんな人がいるとは思えませんが)

(3) 学校にもっと余裕を
学校が忙しい根本的な原因は、学校に対する市教委事務局の関与が多すぎる点です。市教委事務局の関与を極力減らすことが、真の意味での「働き方改革」に結びつきます。
また、文科省で定めている年間授業数よりも大幅に授業時間数が超過している現状も何とかする必要があります(これに関しては後日別記事でお伝えします)。
さらに、6年前に夏休みを1週間前倒しをしたことの検証をすべきです。とりわけ、教職員が休みづらくなったというアンケート結果があったはずなのに、それについての検証がおこなわれていません。
夏休みを短くして、「授業数の確保」ばかり言う市教委事務局も、例えば2学期の始業式を8/29に改めるなど、自らの方針を考え直す時期なのではないでしょうか。

 今回の神戸の事件を契機に、上尾市教育委員会としても、上尾でも起こりうる事件であるという観点から
教育行政を見直すことが必要だと考えます。

上尾市教委の不都合な真実 その13

 市民として到底看過できない池野教育長の行状について、9月の定例教育委員会の会議を非公開にして「審議」したにもかかわらず、質問も無ければ意見も全く言わない「教育委員」の方々。あなた方は、自分たちの姿勢に全く疑問を感じないのですか?

記事No.35

■市民にとっての情報公開制度とは
 情報公開制度は「市民の知る権利」や、「市民が積極的に市政に参画すること」を保障する制度です。行政側はこれを最大限尊重する義務があり、その根拠は法令等でも明確に定められているものです。
ここで重要なのは、情報公開制度は、単に「文書の存否」を問うものではなく、情報公開請求を通じて、行政が改善されるひとつの契機になる、という点です。このことは、住民監査請求に対する意見として監査委員も指摘していることで
す。
今記事では、9月の定例教育委員会の会議録が10月18日に市民に公開されたことを受けて、同会議で(個人情報が含まれるため)非公開とされた[議案第49号]≪行政文書非公開決定処分に係る審査請求に対する裁決について≫を
、これまでの経緯なども含めて取り上げます。

■今回の情報公開請求から審査請求に至るまで
2018.08.14[情報公開請求](情報公開条例による)
①教育長は、距離的にどこの範囲まで公用車を使用するのか(あるい
は公用車使用が可能なのか)が判別できる文書・資料等。
※電車ならばずっと安く行けるにもかかわらず、わざわざ都内の自宅まで公用車で迎えに来させ、横浜市の駅前にあるホテルまで送らせ、その日は上尾まで公用車を戻させ、翌日またホテルまで迎えに来させ、自宅まで送らせたという事案。
②池野教育長は、当時の新政クラブとの「夜の
懇親会」に出席したうえ、公用車を使って都内自宅まで送らせている(つまり公務)。その行状が正当化されるには、何らかの文書等があるはず。
※市教委HPに≪教育委員会は政治的中立を維持することが強く要請されている≫ と記載されているにもかかわらず、あえて特定の市議会会派との「夜の懇親会」に出るからには、それが正当化されるための文書があるはず、という事案。

2018.08.27[市教委による処分の通知
「文書不存在により非公開」との処分が通知されました。備考欄への記述は全くありませんでした。

2018.09.21[審査請求](行政不服審査法による)
「このような池野教育長の行状については、文書や資料等が無ければ到底説明がつかないのではないか。文書等は必ずあるはず」ということから、審査請求をおこないました。

2018.10.26[弁明書が届く](市教委による)
「文書や資料等が無いことは事実である」とだけ述べられている「弁明書」が届きました(全く弁明になっていません)。

2018.12.10[弁明書の一部訂正](市教委による)
「上尾市車両管理規程(公用車は公務でしか使用できず、それも勤務時間に限るという規程)がありましたので、それを提出します」という、「訂正文」が届きました(そうであれば、酒席のあと都内の自宅まで送らせるというのも、公務ということになります)。
なぜ最初の情報公開請求の際にこの規程を示さなかったのか、つまりは市民に対してろくに調べもせずに「非公開」としている証です。

2019.01.08[反論書と証拠の提出](請求人による)
 A4版8ページにわたって、いかに池野教育長が恣意的に、かつ合理的な経路を無視して公用車を使用しているか、また、市教委事務局は池野氏をかばうために言いつくろっているか反論し、かかった経費が市民の血税から支払われていることの証拠を提出しました。

2019.03.08[意見陳述と聴取](請求人・市教委)
 口頭意見陳述の機会がありましたが、このときの審査会長の議事の進め方は全くひどいものでした。請求人であるブログ筆者が何か発言しようとすると、「それは文書の存否に関係ありません!」と大声で口を挟み、発言を阻止してきたのです。事前に質問の要旨は文書で伝えてあったにもかかわらず、です。いかに審査会が名ばかりであり、なんとか市教委をかばおうとする姿勢がはっきりと示されました。

2019.07.24 [答申書が届く](審査会長から)
 市教委を全面的に擁護する「答申書」であり、なおかつ「教育長の公用車使用と新政クラブ懇親会に出席したことの適切性については言及しない」というものでした。

2019.08.05[審理手続きの終結](上尾市教委から)
 一連の「審査」の手続きは、上尾市教育委員会がおこなっているので、市教委から「終結しました」という文書が届きました。
 でも、考えたら奇妙な話ですよね。「文書非公開」という「処分」を下すのは市教委(処分庁と言います)。その手続きを審査するのも市教委(審査庁と言います)。審査会を開く事務局は市役所総務課。
市民には、とにかくわかりにくいシステムになっています。
はっきりしているのは、市教委・審査会が「市民に背を向けている」ということが今の上尾の実態であるということです。

やっと今年9月の教育委員会の「非公開議事」に
 審査請求から1年以上経過した2019.09.25、この「事件(審査請求で扱われる事案は「事件」と呼ばれます)」は、教育委員会の会議に「非公開」で審議されました。
この議案について公開されたのは、先週(10/18)のことです。
請求人が審査請求に1年かけた案件ですが、教育委員のお歴々からは質問も意見もゼロでした(会議録はこちら。最後のほうをごらんください)。非公開にする意味がありませんね。

■教育委員の方々は、なぜ、何も言わないのですか?
9月の定例会で、この議案審議についてわざわざ「非公開」としたにもかかわらず、教育委員のみなさんからの質問も意見も無しというのは、どういうことなのでしょうか。大変疑問です。
教育長の公用車使用については、どう決めているのですか?
市議会の特定会派との酒席に教育長が出るのはなぜですか?
などの質問が教育委員から出てもいいと思うのですが、「教育長の行状については、何がなんでも目をつぶる」「怪しいと思っても、そのことについては触れない」という姿勢がはっきりとした会議でした。
住民監査請求の際に、監査委員から教育長に対して様々な事項(市内の教職員に対して厳しいことを言いながら、自らの服務関係の手続きは全くいい加減であったことや、岩手などの遠方に行っても教育委員会に対してなんらの報告もされていなかったことなど)が指摘されたということを、教育委員は全く気づかずにいるということも考えられます。池野教育長や教育委員のお歴々、加えて市教委事務局の、こうした「不都合な真実」は、これからも逐一明らかにしていく必要があります。さもないと、上尾の教育は少しも良くならないでしょう。

 池野教育長や教育委員の方々がこのブログを読んでいたら、「ここが違う」などの反論や反証も含めて、ぜひコメントをいただきたい思います。
また、市教委事務局職員の方で「実は、こういう事実もある」などの情報をお持ちの方は、このブログの「お問い合わせ&情報提供」経由でご連絡ください。
もちろん、情報提供に関する秘密は絶対に守ることをお約束します。

 

上尾市教委の不都合な真実 その12

今月の定例教育委員会(10/18)の開催告知を、開催前日の夜になってやっとHPに掲載した上尾市教委。
加えて、以前の市議会答弁について「当時の議会答弁は間違いだった」と今になって言い出す始末です。
こんなことが許されるのでしょうか?

記事No.34

■会議開催の1週間前に市民に周知するのは義務
 上尾市の<審議会等の会議の公開に関する指針>では「当該会議を開催する日の1週間前までに、公開・非公開の別等の諸事項を記載した会議開催のお知らせを公表するものとする」とされています。
ところが、10月の定例教育委員会は、10月18日に開催される予定であったにもかかわらず、1週間前になっても上尾市教委のHPに記載されていませんでした。そこで館の住人(このブログの筆者)が市教委事務局(担当は教育総務課)に電話をして、HPに載っていないことを指摘すると、あわてて「教育委員会会議開催のお知らせ」(こちら)を、本日(10月17日)付けで掲載したという経緯となっています(注:まめさんのコメントにあるように、すでに10/18午後の段階で削除されています

つまり、上尾市教委は、市民に教育委員会定例会の開催を知らせる義務があるにもかかわらず、それを完全にサボったことになります。

■「公開指針」に該当しないという「ウソ」
 実は、9月の教育委員会の際にも、市教委のHPに記載したのは開催日の6日前であり、1週間前に公表するという義務は果たされませんでした。そこで、情報公開請求を通じて、その理由が判別できる文書の開示を求めましたが、「文書不存在」との処分が通知されました。
 通知処分が手交される際に確認したところ、市教委事務局の言い訳とは、「教育委員会の会議は<審議会等の会議の公開に関する指針>の適用を受けない」という、にわかには信じられないものでした。
これが「ウソ」であることは、以前の市議会答弁を確認すればすぐにわかることです。

■学校教育部長と教育長の答弁(2013年9月)
上尾市教育委員会の秘密主義が露骨に明らかになった「夏休み大幅短縮問題」では、2013(H25)年1月の定例教育委員会が、こともあろうに≪非公開≫の会議とされました(ちなみに、桶川や秩父は同趣旨のテーマの会議を市民に公開しています)。
そのことについて秋山もえ議員(当時)が市議会で質問し、それに対し、当時の講内学校教育部長と岡野教育長が答弁しています。

Q.(秋山議員) 「夏休みの5日間削減について、ことし1月の教育委員会定例会において、非公開で協議されたのはなぜか伺います」

A.(講内学校教育部長) 「非公開で協議を行った理由についてでございますが、上尾市教育委員会の会議の公開、非公開の扱いにつきましては、上尾市の定めている審議会等の会議の公開に関する指針にのっとって進めているところでございます

A.(岡野教育長)再質問に対する答弁 「先ほど部長が答弁いたしましたとおり、公開、非公開の扱いにつきましては、上尾市の定めによる審議会等の会議の公開に関する指針及び上尾市情報公開条例にのっとって進めてまいります

 市議会でのこのやり取り以降、新たな見解は市教委から示されていません。つまり上尾市教委は<審議会等の会議の公開に関する指針>に基づいて会議の公開・非公開について決めているのです。
それにもかかわらず、「教育委員会の会議は<審議会等の会議の公開に関する指針>の適用を受けない」というのは、明らかに「ウソ」ということになります

■会議の中身はともかく、市民に向けての開催通知は市教委に課せられた義務です。
 一度でも教育委員会を傍聴すればわかりますが、教育長の議事の進め方は、全く教育の本質を問うものにはなっておらず、事務局の説明も表面的なものであり、ましてや「お飾り教育委員」のお歴々は全ての議案に対してうわべだけの質問(果たして、質問と言えるかさえ疑問ですが)を一言二言して、事務局の回答にすぐに納得し、そのうえで採決は必ず全員一致です。そこには教育長に対する抑制効果<レイマンコントロール>の姿勢など、微塵もありません。
たとえ中身の薄い会議であっても、その開催については、市民に知らせる義務は当然あります。
上尾市教委の特質である秘密主義を一日も早く払拭することを強く望むものです

「上尾市民憲章」の 〈象徴〉 が泣いている??

清水九兵衛≪飛立容≫って何だかわかりますか?
正解
は、上尾市役所玄関の前のモニュメントです。
「上尾市民憲章」の〈象徴〉として設置された経緯があるようですが、劣化著しい物故作家の造形作品を、上尾市はこのまま放置するつもりなのでしょうか?

記事No.33

■このモニュメントは、「上尾市民憲章」の象徴だそうですが…
ご存知ない方のために、 以下が「上尾市民憲章」です。

私たちは
 一 ふれあいを大切にし、あたたかい上尾をつくります。
 一 体をきたえ、活気ある上尾をつくります。
 一 きまりを守り、美しい上尾をつくります。
 一 仕事にはげみ、豊かな上尾をつくります。
 一 教育・文化を高め、国際感覚を養い、未来をひらく上尾をつくります。
[ 1988(S63)年7月15日制定]

 作品≪飛立容≫(ひりゅうよう、と読むようです)は、市民憲章の最後の「教育・文化を高め、国際感覚を養い、未来をひらく上尾をつくります」の〈象徴〉として、1991年に設置されたようです。
推測の域を出ないのは、このモニュメントの管理の担当である市の総務課も、設置当時の資料を持ち合わせていないことによります。
以下、総務課とのやり取りから

お問い合わせいただきました、モニュメントについてのご質問でございますが、
①購入担当課は? ⇒ 営繕課(当時の課名)と聞いております。
②維持管理担当課は? ⇒ 総務課です。
③同作品は1991年に購入していると思われますが、購入金額は幾らでしたか?
⇒ 手掛かりとなる文書は見当たりませんでしたが、当時の埼玉新聞の記事には 約3,000万円と記載されています

 

     (今回の記事で挿入した≪飛立容≫の写真は、2019.10.10撮影)

■≪飛立容≫の作者について
清水九兵衛(きよみず・きゅうべえ,1922.5.15-2006.7.21)
彫刻家・陶芸家。日本における彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衛を襲名した。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 館の住人(このブログの筆者)は、数年前に京都の某芸術系大学(現在、大学の名称で訴訟騒ぎになっている一方の大学)の通信教育課程に在学していた関係で、卒業までスクーリング等で京都に行く機会が何度かありましたが、〈京都市勧業館みやこめっせ〉の前に置かれた作品をみて、同じ作家の造形作品だとすぐにわかりました。

                         (作品名≪朱鳥舞≫ 写真は 京都市勧業館HPより)

■いかんともしがたい <芸術的環境の差>
 みやこめっせの前に設置された作品≪朱鳥舞≫ですが、京都の岡崎公園近くにあり、周囲には平安神宮の朱の大鳥居、京都国立美術館、京都市京セラ美術館、ロームシアター、あるいはブログ筆者が好む細見美術館などが並ぶようにしてあり、清水九兵衛のアルミ造形作品が置かれていても、全く違和感がありません。それどころか、むしろ心地よい空間が出現していると言ってもよいでしょう。

 それに比べると、上尾市役所の前の≪飛立容≫は …???
同じ作家の作品でも、「置かれ方」や周囲の芸術的環境により、救いようのない差がついてしまうのは、仕方がないことなのでしょうか。

 もし、この記事を読んでいる中学校の先生がいて、修学旅行の行き先が平安神宮付近だとしたら、生徒たちに伝えてやってください。
「みやこめっせに行って見てごらん。置かれ方と周囲の環境によって、同じ作家の造形作品とは見えないこともあるんだよ」と。

■これから、上尾市はどうするつもりですか。
 実は、周囲の環境だけでなく、この作品 ≪飛立容≫ は、写真のように表面は塗装が剥げ、作品全体的にくすみ、劣化が著しい状態です。(2019.10.10撮影)

 設置されてから28年経過しているので、やむを得ない点もあるのですが、作家はすでに2006年に亡くなっています。そういう状況でどのように修復したらよいのか、まさかやみくもに塗装業者に依頼するというようなことがあれば、それこそ作品を造った作家のコンセプトを無視することになると思われます。

さて、上尾市としてはこの作品を、どう維持管理していきますか?
今のままだと、自転車を置く目印になっているだけですが…

日々の所感 ー 瀬尾まいこ 『図書館の神様』を読む

 

記事No.32

 今回の記事のカテゴリーは「日々の所感」です。
 館の住人(このブログの筆者)は、自分の日常はあまり話題にしてきませんでした。記事No.20こちらで、通信制大学で「図書館・情報学」のスクーリングを受講したとお伝えしただけです。
 ですが、人並みに本も読めば、映画も観ます。時々は美術館にも足を運ぶことや、テニスを楽しむこともあります。これからは、時折、読んだ本や美術展の感想なども記事にしていきたいと考えています。

 〈図書館〉と名のつく本が読みたいと思いつき、上尾市図書館の蔵書検索で、キーワードに〈図書館〉と入れてみました。思ったよりも多く、(図書/一般書)で絞り込んでも、1000件の検索結果が出てきます。そういうわけで、今記事では、上尾市図書館で借りて読んだ小説[瀬尾まいこ『図書館の神様』マガジンハウス,2003年]を取り上げてみたいと思います。

■『図書館の神様』あらすじ
 早川清(きよ)は、高校時代バレー部キャプテンでした。とにかく真剣にバレーと向き合っていた清には、練習試合でミスを重ねた補欠の山本さんに試合後厳しい言葉を投げつけたところ、その夜に彼女は自殺してしまったという忘れがたい経験があります。

 清はバレー部の顧問になろうと、高校の国語の講師(非正規採用)になりました。しかし、清の希望は叶わず、やむを得ず文芸部の顧問を務めることになったのですが、部員は垣内君という、スポーツ万能に見える3年の生徒ただひとりしかいません。国語の講師とはいえ、全く文学に興味の無い清でしたが、垣内君によって、しだいに文学の楽しみ方や奥の深さに気づかされていきます。

 一方、清にはお菓子教室で知り合い、不倫関係にある浅見という男がいます。浅見と一緒に過ごすことが清にとって唯一癒される時間でしたが、浅見が妻に気づかう〈正直さ〉に嫌気がさし、別れる決意をします。また、清には子どものときから何でも隠さず話せる弟の拓実がいます。拓実は、海を見たいという理由で清のアパートに度々来て泊まっていくなど、姉の生活に入り込んでいます。拓実は、清との会話の中で、平気で浅見との不倫関係を話題にするなど、浅見の存在を認めており、三人で食事をしたりもします。

 結局、清は浅見とは別れ、垣内君は高校を卒業します。

 小説の最後は、正規採用の試験に合格した清が、拓実と一緒に海に落ちる夕日を眺め、「神様のいる場所はきっとたくさんある。私を救ってくれるものもちゃんとそこにある」という台詞で終わります。

■誰に(何に)焦点を当てて読むのか
 小説のどの部分に、あるいは登場人物の中の誰を焦点化するかによって、読み方が違ってきます。『図書館の神様』では、清・浅見・垣内君・拓実それぞれの視点から読み直せば、また違った解釈の物語になるでしょう。例えば、清は、次のような考えを持っています。

 「どうして私が文芸部の顧問なのだ。担当教科が国語だから?
だったら困る。別に国語が得意なわけじゃない。文学なんて全く興味がない。小説どころか雑誌や漫画すら読まない。確かに私は文学部出身だ。でも、大学進学を間近に進路変更をした私は、日本人が日本語を勉強するという最も簡単そうな道を選んだだけだ」

 このように本音を語る清は、実に正直な人ではありませんか。

 この部分を読んだとき、知人で、県の数学の指導主事になった職員が本心から「実は私は数学が大の苦手」と言っていたことを思い出しました。それは、現在の小学校の英語教育に疑問を持っている館の住人が、情報公開請求で市教委指導主事と面談するたびに「英語指導に自信がありますか?」と尋ねると、指導主事たちは一様に首を横に振り「いいえ、苦手です」と謙遜でなく本音で答えるのと共通します。

■図書室に関しての記述
 少し視点を変え、小説の中で描かれている〈図書室〉に焦点を当ててみましょう。例えば、こんな記述がされています。

「図書室のドアを開けると、本の匂いが鼻をつく。かびくさい濁った匂い。漂ったこの空気は苦手だ」

「自分が生徒の頃には図書室なんてまったく寄りつかなかった。昼休みはいつも体育館で過ごしていたし、読書感想文の宿題が出る夏休み前に本を借りる程度だった」

閑散とした図書室

「『はだしのゲン』は二回も繰り返し読むと、さすがに飽きた。学校の図書室には第一部の十巻までしか置いていない。次の図書予算で、第二部を購入してもらおう。私は密かに決心をすると、二回じっくり読んだ『はだしのゲン』を棚に戻した」

「日本文学全集から世界文学全集。世界各国の資料から天文学や科学の資料。新しい読み物だってたくさんある。図書費用は年間何十万と入るから、図書室はとても充実している。だけど、本を読む癖が昔から付いていないせいか、ぎっしり詰まっている図書室の本にも私はちっともそそられなかった」

「(垣内君の発話)この図書室、本の並びが悪いと思いませんか?
そもそも日本十進分類法なんて今の高校生のニーズに合っていない。探しにくくて仕方ないでしょう。教科別に並べ替えましょう」

小説に書かれたこれらの記述から、この高校の図書室は
*ほとんど利用する生徒がいない。
*図書予算は確保されているので、それなりに選書できる。
(何十万円という予算が果たして多いのかという問題はありますが)
*どうやら、図書館司書はいないようである。
*垣内君は、日本十進分類法による分類には否定的である。
といったことがわかります。

 公共図書館の99%が使用していると言われる「日本十進分類法」に基づく図書の分類・整理について、自分たちの都合で変えてしまうことは、かなり大胆なような気がしますが、〈常識〉にとらわれず、柔軟な発想という意味では、傾聴に値するとも言えます。

 一方で、予算の範囲内で図書館に置くべき図書の選択が現場に任されているという実態もうかがえます。上尾の例で言えば、資格を有しているという理由で「司書教諭」に発令された担当者(数学の教師が司書教諭になっている場合なども散見されます)が、購入する図書の希望を募っても、他の教員も忙しいことから、なかなか希望が出てこないので大変苦労しているという話も聞きます。

■作者の意図
 この小説に限らず、作者が読者に何を伝えたかったのかを考えることのほうが、読み方としては一般的でしょう。その意味では、作者はタイトルこそ『図書館の神様』となっているものの、〈図書館〉そのものについての記述や、描かれ方に関心を寄せている読者がいるとは想定していないかもしれません。

 小説の中で、垣内君は卒業前の文芸部の発表で、用意してきた原稿をポケットにしまい、大きな声で次のように発言します。

 「文学を通せば、何年も前に生きてた人と同じものを見れるんだ。 見ず知らずの女の人に恋することだってできる。自分の中のものを切り出してくることだってできる。とにかくそこにいながらにして、たいていのことができてしまう

 作者が垣内君を通して読者に伝えたかったことは、このことかもしれません。

 小説ではありませんが、上尾図書館には『天使のいる図書館』という映画のDVDも置いてありますが、その話は別の機会にでも。

 

住民監査請求に基づく上尾市政初の≪市長への勧告≫&〈措置内容〉から、様々なことが見えてきました。

「西貝塚環境Cの入札に関する第三者調査委員会」が求める<市民による監視の強化>。今回の[住民監査請求]や、[情報公開請求]は、その代表格です。

記事No.31

■住民監査請求に基づく「勧告」のその後
 2019.8.28に、住民監査請求に基づく市長に対する監査委員の「勧告」が出されました。これは上尾市政始まって以来、初めてのことですが、9.30に監査委員からその後の「措置内容」が届きました。
その詳しい内容は宮入勇二さんのブログ「支払いを職員二人に背負わせた上尾市長の回答」(こちら)をごらんください。
これを一読すれば、畠山市長がいかに自らの無謬性(むびゅうせい=ここでは、判断などに誤りが無いと言い張ることの意)に固執しているかを指摘できる「措置内容」となっているのは明らかです。

■それでも、住民監査請求には大きな意味がある
館の住人(このブログの筆者)は、市民としてこの請求に名を連ねた一人ですが、“市民の主導で自治体改革をすすめる”という点で、今回の住民監査請求は大変価値のあるものであったと考えています。
また、同時に、畠山市長の実像を浮かび上がらせる結果ともなりました。

以下、重要な点を箇条書きにしてみると、

ブロック塀問題が発覚後、議員も含めて誰も具体的行動に出ない状況下で、宮入勇二さんを中心とした市民の有志が住民監査請求(上尾市職員措置請求)を起こし、上尾市政初の「勧告」を勝ち取ったこと

*上尾市で2018年に請求された住民監査請求は、館の住人(このブログの筆者)が起こした1件でしたが、
それは、デタラメ服務に終始していた教育長の給与の一部返還を求めて、8カ月間かけて証拠集めをし、意を決してたったひとりで起こしたものでした。その際の、請求するにあたってのノウハウや知識が、請求人のみならず、監査委員(事務局)にも経験値として蓄積されたこと

今回、勧告後の措置内容が公表されたことにより、畠山市長の実像(本質)を市民にはっきりと知らしめたこと。すなわち、畠山市長は、<自分の身に降りかかる不利益や過干渉に対しては、相手が議員だろうが市民だろうが、自らを守るためになりふり構わず払いのけようとする姿勢に終始している>ということが、多くの市民にわかってしまったこと(そう考えれば、市議会での畠山氏の様々な発言も説明できます。それらは、決して市民の側に目を向けていたのではなく、保身によるものだったことは明白です)。

*「西貝塚環境Cの入札に関する第三者委員会」の提言である、[市民監視の必要性]を、今回の市民の住民監査請求により具体化できたこと。

*今回や昨年の住民監査請求の証拠固めや資料集めには、市民による情報公開請求はかかせませんでした。こうした情報公開請求や、市民主導による住民監査請求を起こすという行動が、自治体改革をすすめるうえで重要であることを実証的に明らかにしたこと。

■市民の「知る権利」の大切さ
 住民監査請求に欠かせない「情報公開請求制度」については、行政側だけでなく、場合によっては、市民の側にも「文書の存否」だけを焦点化する傾向があることは否めません。

 しかしながら、情報公開請求は、元来対等の立場であるとは言えない市民と行政の関係性を、対等に近いところまで引き上げるという意味もあります。
 また、館の住人が昨年おこなった住民監査請求の結果の中で、監査委員が「教育委員会は、請求人による情報公開請求を契機にして事務の改善を図る機会があったにもかかわらず(それを怠った)」との意見を述べていることからも、単に「文書の存否」だけが問題になるのではないことは明白です。
 市民が、固有の権利としての「知る権利」を駆使して、出来る限り自治体改革をすすめることが、上尾でも始まっていると言えるのではないでしょうか。

 

上尾市議の誰も指摘できなかった! W逮捕の陰で、上尾市図書館でおこなわれた 「不都合な真実」。

前市長・議長W逮捕のドサクサに紛れて、2018年度以降の『上尾市図書館要覧』から「上尾市図書館の基本理念」&「図書館の自由に関する宣言」が消されています。このことは市議の誰一人指摘していません。

記事No.30
※今回は、「図書館の自由に関する宣言」の骨子を掲載してあるため、長めの記事となっています。ただ、大事なことですので、ゆっくりとお読みください。
(PC画面でお読みいただくことを推奨します)

 ■関 孝夫館長のもとで何が起きたのか?
 上尾市図書館による『図書館要覧』は、2018年度から、その体裁や中身が変更されました。図書館のHPに掲載されている要覧(こちら)を参照してください。

 表紙を開けばすぐ気づきますが、2017(H29)年度までは、表紙の次が「上尾市図書館の基本理念」、次ページに「図書館の自由に関する宣言」が掲載されていたものが、2018(H30)年度以降は「上尾市図書館の基本理念(以下、この記事では「基本理念」)」と「図書館の自由に関する宣言(以下、「宣言」)が丸ごと消されているのです。

 館の住人(このブログの筆者)は、「なぜこのようなことが起こったのか、その理由が知りたい」ということで情報公開請求をおこないました。その結果は、「決裁文書はあるが、起案の理由が書かれていないため、文書不存在」との処分が下されました。
基本理念」や「宣言」を丸ごと消してしまうのは大幅な変更ですが、その理由を書かずに決裁し、職員もハンコを押してしまうというのは、「ある強い意思」が働いたと考えるのが極めて自然です。

 2018(H30)年度の上尾市図書館長は、関 孝夫 氏でした。同氏は1年間だけ図書館長を務めた後、2019年度は 学校教育部参事 兼 学校教育部次長 となっています。たった1年だけ図書館長に就いたのでは、ほとんど何もできないだろうと誰もが思うでしょう。
しかしながら、前記の事実を重ね合わせたうえで考えると、関氏は、上尾市図書館要覧から「基本理念」や「宣言」を丸ごと消してしまうという〈大きな仕事〉をするために図書館長になった、とも言えます。

■「上尾市図書館の基本理念」とは?
ここで、あらためて「上尾市図書館の基本理念」を見てみましょう。

  くらしに役立ち、市民とともに歩む図書館

  〇誰もが本と出合うよろこびを感じられる
              居心地の良い図書館
  〇くらしに役立ち、
        市民の知る権利を保障する図書館
  〇市民文化創出の礎(いしずえ)になる図書館   

  を目指して市民とともに歩んでいきます
                                                                          上尾市図書館

■「基本理念」の何が気に入らないのでしょうか?
 このとおり、「基本理念」はとてもわかりやすい言葉で書かれています。これを『図書館要覧』から消したいと思ったのはなぜなのでしょうか。
◇「市民とともに」が繰り返されているから?
◇「知る権利を保障する」と書いてあるから?
もしもそういう理由で消したとしたら、到底市民としては理解も納得もできるものではありません。

■「図書館の自由に関する宣言」の骨子とは?
では、消された「宣言」のほうを見てみましょう。
再度、図書館要覧(こちら)を参照してください。
1979年改訂宣言は、憲法が定める国民主権の原理と表現の自由によって、図書館を国民の知る自由を保障する機関として位置づけています。「知る自由」は、表現の送り手の自由と表裏一体をなすものであり、すべて国民は、いつでも必要とする資料を自由に入手し、利用する権利をもっていることを確認し、その権利を社会的に保障する責任を図書館は負っていると述べています。
また、図書館利用に関していかなる差別もあってはならないこと、それは外国人についても同様でなければならないとし、こうした「図書館の自由」に関する原則は、「すべての図書館に基本的に妥当する」と述べることで、どの館種の図書館にもあてはまるという考えを示しています。

 「収集の自由」とは、図書館が自らの責任で作成した収集方針に基づいて行う資料収集が、ほかからの圧力や干渉によって歪められることがあってはならないということで、そのためには図書館が行う資料収集の原理が国民に明らかになっていなければなりません。 第1項ではその原則として、「多様な、対立する意見のある問題については、それぞれの観点に立つ資料を幅広く収集する」などを掲げ、さらに収集方針を成文化し、公開することで広く社会の批判と協力を得るとしています。
 図書館に収集された資料は、すべて国民の自由な利用に供されねばなりません。宣言はそのことを確認した上で、人権やプライバシーを侵害するもの、わいせつ出版物であるとの判決が確定したもの、寄贈者・寄託者が公開を非とする非公刊資料については、提供を制限することもあり得るとしています。ただその場合も、その措置は時期を経て再検討すべきだし、資料そのものはきちんと保存することの重要性などを提供の自由についての第2項で述べています。
 読者が何を読むかは、個人の内面の自由に深くかかわるプライバシーに属することです。そのため図書館は、貸出記録をはじめ利用者の読書事実、利用事実を他に漏らすことがあってはなりませんし、その責務は図書館活動に従事するすべての職員に課されているというのが第3項「利用者の秘密を守る」の内容です。この項目は、1979年改訂ではじめて主文に取り上げられた事項です。憲法第21条第2項が、「検閲は、これをしてはならない」と明確に禁じていることから、現代の日本では国民の知る自由を侵す検閲は存在しないはずですが、現実には検閲に近い行為、「検閲と同様の結果をもたらす」ような干渉があとを絶ちません。 そうした事態は、自由な図書館活動とあい容れないので、「図書館はすべての検閲に反対する」ことを第4項で述べています。
 最後の結びにおいては、図書館の自由の状況は、民主主義の進展の重要な指標であると述べ、もし図書館の自由を侵害するような事態があれば、図書館は互いに力を合わせて闘うし、そのことで共通の立場に立つ団体や人々と連携することで、「図書館の自由を守る努力を不断に続ける」との決意を示しています。
※以上の骨子については、塩見 昇他編 『図書館概論 五訂版』日本図書館協会,2018年,P59-60を引用・参照しました。

■ハコものだけでない、教育機関としての図書館
 以上見てきたように、私たち市民にとって図書館は市民の「知る権利」や知の集積という点で、とても大切です。新図書館建設問題以来、ともすればハコものに論議が集中する傾向がありました。もちろんそのことも大変重要ですが、W逮捕に象徴される事件や不祥事の陰で、行政による恣意的とも言うべき事態が進行していることも、市民は忘れてはならないでしょう。
さらに、こうした事実を指摘できる市民的視座に立った議員が現れることを切望します。

情報公開請求や住民監査請求は、「ひとりひとりの市民の権利」です。

「市民の権利」に基づく市民の正当な活動を無視できなくなってきた上尾の議員たち。9月議会でも5人の議員が関連質問をしました。

記事No.29

■9月議会での「情報公開請求」についての質問
 無所属議員からの「情報公開請求件数等の現状は?」との質問に対する須田総務部長の答弁より
(情報公開請求件数:市長宛、教育委員会宛他全庁で)
2016(H28) 200件
2017(H29) 258件
2018(H30) 495件
2019(H31.08月まで)458件(市長宛292件,市教委あて125件 他)
※「件数」は、「2018年の随意契約書類の情報公開請求」という場合は、担当課が5課あれば5件とカウントします。

 以上のように、年を追うごとに請求件数が増えています。質問した議員も「われわれ自身も、そのような状況(=情報公開請求の増加)を招いている」と発言しています。
 この発言を分析すれば、「このことが知りたい」という情報公開請求が増えているのは、市政や市教育委員会による情報提供が満足におこなわれていないことの反映であると同時に、市政や市教委に対する議員の質問が十分ではないことへの反発であると言えます。

■住民監査請求の結果「勧告」への対処
 今回の住民監査請求(上尾市職員措置請求)をおこない、上尾市政始まって以来の「勧告」を勝ち取った市民の代表は、宮入勇二さんこちらを参照)です。
館の住人(このブログの筆者)も住民監査請求の市民メンバーのひとりでした。勧告を受けての畠山市長は大変往生際が悪く、グダグダ言っていますが、9/30までには対応を示さなくてはなりません。引き続き注視していく必要があります。
 9月議会で、住民監査請求の結果にどう対応していくのかも含めて、少なくとも4人の議員から質問が
されていますが、従来の市議会でのパターン、つまり
   議員が、すでに判明している情報再確認の質問をする。
   → 行政当局が数字を示す。
   → 議員が今後の要望をする。

   → 行政当局が「検討します」と言ってその質問終わり。
という、極めて実効性に欠けるパターンは、上尾市議会ではそろそろ卒業しませんか? そして、
「スマート」な行政
「スマート」な議会 にしてもらいたいものです。

「市民による監視の強化」で自治体改革を
「西貝塚環境センターの入札に関する第三者調査委員会」の調査報告書には、「市民による監視の強化」が挙げられています。そこには、次のようにあります。

 市民の市政に対する牽制機能の向上をもたらすことが、再発防止に不可欠である市民は、市政に より関心を高めるとともに、地方自治法にある監査の請求や市議会の傍聴などを通じて、不祥事の再発防止に努めていただきたい。市もまた、市議会の日程をメールマガジンで配信することや市議会がネット中継されていることを積極的にPRすることに努める」

 このように、調査報告書では、市民に対して今よりも積極的に市政を監視するように訴えているのです。
この訴えを目にして、館の住人も、地方自治法2条を無視した教育長の恣意的な公用車使用についての住民監査請求をおこなう決意をあらたにしました。後日、そのことについては市民のみなさまに逐一お伝えしていきます。

教育長に問います。9/25開催の定例教育委員会、「議案第49号」は「非公開の会議」にするつもりですか?

池野教育長の恣意的ふるまいをきちんと指摘できない「お飾り教育委員たち」&事務局の職員。「審議会等の会議の公開に関する指針」をまたもや自分たちに都合良く解釈するのでしょうか?

追記:
やはり9/25の定例教育委員会での「議案49号」は「非公開」とされました。理由は「個人情報が含まれているため」。
なんのことはない、請求人である館の住人(=このブログの筆者)の住所・氏名が含まれているから非公開ですと。
だったら、最初から請求人の住所・氏名は伏せたうえで「公開の会議」にすればいいではないですか、池野教育長さんと「お飾り教育委員」のみなさん!!

記事No.28

■「審議会等の会議の公開に関する指針」では
 会議を開催する1週間前まで(9/25の定例教育委員会は9/18まで情報公開コーナー、支所及び出張所に市民に向けたお知らせを公表するものとなっている他、総務課から各課あてに出来るだけHPで知らせるよう通知も出されています。
実際には、情報公開コーナーには9/20現在何らの開催通知も貼られていません。市教委HPに教育委員会の開催が掲載されたのは、9/19でした。
すなわち、「審議会等の会議の公開に関する指針」で示されている公表は現在もおこなわれておらず、HPへの掲載についても指針」期限に従わなかったことは明らかです

 

■9/25に審議される「議案第49号」の内容とは
 「事件名」として示されているのは、「教育長の公用車の使用基準に関する文書及び教育長の特定の行為に関してその正当性を示す文書の非公開決定に関する件」という、大変長いものです。
館の住人(このブログの筆者)は、

①教育長が公用車を使用する際には「使用基準」あるいはそれと同趣旨の文書があるはず。
②「政治的中立が強く求められている」はずの教育長が、市議会特定会派(旧新政クラブ)と議会閉会のたびに「夜の懇親会」に出席している。そんなことが可能であるならば、正当な理由が判別できる文書・資料等があるはず
との情報公開請求をおこないました。これに対して、市教委は①・②とも「そのような文書・資料は無い」としたため、不服申し立てをしたところ、審査会は「文書や資料が無くとも不自然ではない」と結論付け、上尾の審査会がいかに「イケ(池)のポチ」であるかを如実に示した「事件」でもあります。

■教育委員会の「主張?」とは
 再三指摘しているように、池野教育長の公用車使用は、経費のことは全く考えない、極めて恣意的なものです。「公用車使用基準などなくて当然」と主張すればするほど、市教委は自分たちのいい加減さを暴露しているということに、いまだに気づいていないのが実態なのです。
 また、「教育委員会は、政治的中立が強く求められる」と市教委のHPで謳っているにもかかわらず、教育長や学校教育部長、教育総務部長は(旧)新政クラブとの「夜の懇親会(つまり酒席)」に何度も足を運んでいました。これは、お互いに「持ちつ持たれつ」のズブズブの関係性を維持していること他なりません。
 問題は、こうした事実を教育委員の誰も「それはまずいのではないですか?」と指摘できないことにあります(文科省が言う「レイマンコントロール」など、望むべくもありません)。もちろん、従来から教育長が休む際に「お休み」などと公的なスケジュール表に記載したり、教育長悪行の「幇助」の役割を果たしている市教委事務局の責任も大きいことは言うまでもありません。

教育委員会の議案を非公開にする理由とは
予算等市議会にかける案件」や「人事に関する案件」については「非公開」となります(教育長のボーナスを増額するといった案件も非公開にするというのは市民的視座から甚だ疑問ですが)。
その他では、本記事で取り上げている、行政不服法に基づく審査請求の裁定がすべて「非公開」とされてきました。その理由のひとつは、
(教育)委員の率直な意見の交換を行った上で、適正かつ公正な採択をおこなう必要があるため 」
というものです。
はっきり言って、教育委員ともあろう方々が、非公開にしなければ率直な意見交換ができないのか?という疑問が生じます。
そういえば、最近、これに似たことがありました。
そう、先月、JOCで山下理事長が「今後理事会は非公開とする」と決めたこと(毎日新聞社説参照)に酷似していますね。でも、JOCでは、このことに反対した委員が高橋尚子氏はじめ4名いました
一方、上尾の教育委員会では、教育長に反対したり、教育長の恣意的行状を指摘する立場での発言は、今まで全くありませんでした。
その意味では、中身は上尾と同じように酷いですが、JOCの委員のほうが反対を表明するだけまし?かもしれません。
もうひとつの理由としては、
個人情報が含まれているため 」というもので、定例教育委員会の際に配布される資料の中に個人情報(つまり、審査請求人である筆者の氏名や住所)が含まれているから非公開にするというのです。
少し考えればわかることですが、これは全く理由になりません。会議録を後日公開する際には、請求人の住所・氏名は空欄で公開するのですから、定例教育委員会でも、個人情報を空欄にして資料を配布すればよいのです。はっきり言って、こんなこともわからないでよく教育長や教育委員を名乗っていられるものです。

■その時その時で理由を使い分けている市教委
 市教委が悪質なのは、行政不服法に基づく審査請求の裁定の際に、前記のふたつの理由を、あるときは「教育委員の自由な論議のため」としたかと思うと、またある時は「個人情報が入っているから」として、自分勝手に使い分けているということです。
 まさに「自分たちのためのご都合主義」と「秘密主義」が上尾市教委の本質であることを、この問題は見事に浮かび上がらせています。

 

上尾中がHPで謳う〈地域No.1校〉から受ける違和感。案の定、実証的データに基づくものではなかった。

「<地域No.1校>と謳う根拠は何?」との情報公開請求に満足に答えられない上尾中・西倉校長(前学校教育部長)と
上尾市教育委員会事務局/
指導課

記事No.27

■上尾中のHPについての情報公開請求
 こちらが上尾中学校のHP。見ればお分かりのように、「地域No.1校 上尾中学校の取組」と記載されています。

 館の住人(このブログの筆者)は、以前から≪上尾市内の中学校の間には、No.1とかNo.11というような「格差」は存在しないはず≫と考えていたので、上尾中のHPでのこの言い方には大変違和感を持ちました。
そこで、上尾市教育委員会あてに、次のような情報公開請求をおこないました。
(以下、請求内容とそれに対する回答や説明です)

◇HPには「地域No.1校である上尾中学校」とありますが、ここでいう「地域」の範囲とは、愛宕地区なのか、上尾市内なのか、それよりも広域なのか、地理的にどの範囲なのか判別できる文書・資料等。
=文書等は存在せず。「地域(学区?)の方がHPを見た際、上尾中 がNo.1だと思うと考えたのでこの表現になった(と西倉校長は言っている)(上尾市教委事務局/指導課による説明。以下同じ)

◇いつからHPに記載しているのか判別できる文書・資料等。
=文書等は存在せず。「記録としても残っていないので、不明である(と校長は言っている)」
「1年くらい前?(そう言った指導課職員がいた)」

◎haruka さんがインターネット・アーカイブを調べてくれた結果、この<地域No.1校>という文言は、2016年7月17日~2016年10月11日の間に掲載されたことが判明しました。つまり、指導課職員の発言には何の根拠も無く、虚偽であることが露見しました。

◇何についての〈地域No.1校〉なのか。生徒数の多さなのか、別の何かであるのか判別できる文書・資料等。
=文書等は存在せず。「実証的データ無し」

◇〈地域No.1校〉という言い方をするなら、地域No.2校やNo.3校もあるはず。それらの学校がどこか判別できる文書・資料等。
=文書等は存在せず。「実証的データ無し」

◇何をもってNo.1なのか明示せずに〈地域No.1校〉と言うことが、生徒の学びや成長にプラスになることが判別できる文書・資料等。
=文書等は存在せず。「生徒にプラスになるようなデータは無い」

もともと無いはずの上尾市内での「学校間格差」をあえて助長するような言い方は即刻止めるべきです。
 以上のように、大して深く考えずに(むしろ、それが校長の本質であるとも言えますが)上尾中学校のHPに記載し、本来無用な上尾市内の「学校間格差」をわざわざ生み出すことにつながるということを、西倉校長はよく考えるべきです。
しかも、公開されたHPは世界中から見ることができるにもかかわらず、「見るのは学区内の保護者だけだろう」とする、極めて初歩的なインターネット知識しか持ち合わせていないことも、今回の請求で明らかになりました。

■気づいていて何も言わないのは、教頭も同類。
 上尾中には教頭が二人いるにもかかわらず、どちらの教頭も「(実証的データの裏付けが無いので)この言い方は変えたほうがいいですね」と校長に進言しなかったと思われます。教職員の間にそうした「忖度」がこうした事態を生み出しているのは明白です。
 何の根拠の無い〈地域No.1校〉という言い方は、ただちにHPから削除し、真に子どもたちに向き合ってもらうよう、希望するものです。
なお、館の住人は、情報公開請求の「処分」通知の手交の際に、ことの経緯を説明できるはずの西倉校長の同席を求めました(平日が難しければ、市役所が開庁している土曜日でも、と希望しました)。
しかしながら、教育委員会事務局は、前学校教育部長をかばってか、「忖度」からか、市民の声を無視し、西倉校長からの説明を拒否しました

根拠が無いのに断定する表現は、子どもたちを預かる教育機関の取るべき態度ではありません。上尾中は<地域No.1校>という言い方を削除・訂正すべきです。

もはや支離滅裂な畠山市長

住民監査請求の結果に真摯に耳を傾けず、聞き苦しい不満を言うのでしたら、一日も早く市長をお辞めになったらどうですか?

記事No.26

 アベ内閣も最低最悪ですが、上尾市政も酷い状態が続いています。国政の不都合な真実追及は、リテラこちらのサイト)にまかせ、私たちは上尾の状況を見ていきましょう。

■畠山市長の市議会答弁より(2019.09.12)
質問者:糟谷珠紀議員

問:市長就任後、議会・議長サイドからの人事介入はあったか?
答:答弁は差し控えたい。(は? 何ですと?)

問:住民監査請求による勧告への対応は?

答:独立した行政機関である監査委員の監査結果に異を唱えるものではありません。私の監督責任は痛感しております。
 しかし、遅延損害金を返還すべきと結論付けされているものの、対象となる職員の範囲が不明であること
(→支出負担行為票にハンコをついた職員全員でしょ。そんなこと、わからないのですか?)
また、私に対して賠償責任があるとの結論付けがされているものの、前提となる事実認定が無く、その違法性が十分に論証されていないことなどについて、単に疑問に感じたものです
(「異を唱えるものではない」のなら、「しかし」以下は、いらないでしょ?) 
  

今も市のHPに掲載中の畠山市長のあいさつ
 さて、このたびの市長選挙は、前市長・前市議会議長の逮捕・辞職を受け、新しい上尾をつくるための選挙でした。今後は、市民の皆様の声に真摯に耳を傾け、公正な政治・公平な行政を推進し、一刻も早い市民の皆様の信頼回復に向け、全力を傾注してまいります。
自治体を取り巻く社会経済情勢は依然として厳しい状況にありますが、私は、市民の皆様との対話を重ねながら、ともに英知を結集し、次代を担う子ども達に素晴らしい郷土を引き継ぐことができるよう、粉骨砕身、市政運営に取り組んでまいります。
上尾市は生まれ変わります

 市民が夢をもてる「みんなが輝く街、上尾」の実現に向け、職員と共に一丸となって全力を挙げて努めてまいりますので、ご支援ご協力を賜りますよう、心からお願い申し上げ、就任にあたってのあいさつといたします。
→このあいさつと、市議会答弁との整合性は?

市長は一日も早く「ご決断」を。
次から次へと出てくる、993,600円随契ネタ。
宮入勇二さんのブログに詳しいです)
 上尾市民として本当に恥ずかしい限りです。
市長は全てを明らかにして、ハンコを押した職員と一緒に、払うものを払って、HPに記載されているあいさつと市議会答弁との齟齬を説明した後、一日も早く辞職の「ご決断」をお願いします。

 

情報公開請求で判明した事実。上尾の図書館には「司書」も「司書補」もいない!!

<上尾市の図書館には、専門的職員としての「司書」や「司書補」は置かなくてもよい>という上尾市教委の姿勢が、はからずも露見しました。

記事No.25

情報公開請求で判明
上尾の図書館については、従前から数々の疑問があります。例えば、専門職員としての図書館司書が上尾の図書館には配置されていないのではないか? あるいは、図書館長は司書資格を持っているのか?などの問題です。今回、情報公開請求とその処分(職員課と図書館による口頭説明)によって、そうした疑問のいくつかが判明しました。同時に、解決すべき様々な問題も出てきています。
今記事では、その一部についてお伝えします。

決算特別委員会審査報告(2018.09.27)より
 まず、こちらの会議録をごらんください(会議録の真ん中あたり)。ここで注目するのは、昨年9月の上尾市議会決算特別委員会審査報告での、平田通子委員と島田栄一図書館次長(昨年当時。現在は図書館長)とのやり取りです。

平田委員:図書館は司書が職員の中に何人の方がい らっしゃるのか。

島田次長:職員の中で司書の資格ということでございました。昨年度は…5名…今年度は…2名…(以下略)

 このやり取りの数日後、平田委員は総括意見として次のように述べています。

図書館も職員の中では司書が2人しかいないということは驚きでした。

■「ツッコミ」が足らない質問
 平田委員の質問は、観点は良いのですが、法令や根拠等を示したうえでの質問という意味では不足です。
 この問題を取り上げるのでしたら、最初に図書館法第4条を示す必要があります。

≪図書館法≫
(司書及び司書補)
第四条 図書館に置かれる専門的職員を司書及び司書補と称する。
 2  司書は、図書館の専門的事務に従事する。
 3  司書補は、司書の職務を助ける。

そこで、こういう質問をするべきでした。

 図書館法第4条に定められている、専門的職員としての「司書」及び「司書補」は上尾図書館には何人配置されているのですか?

この質問には、答弁者はさすがに嘘はつけないので、次のように答えるしかありません

 上尾図書館には、「司書」や「司書補」という職名の職員はおりません。

 こうしたことを前提にして初めて、「なぜ上尾図書館には司書はいないのか?」「専門的職員を配置せずに、教育機関としての図書館の方向性をどう考えるのか?」などの議論が発展していくのです。

 そういう質問をすれば、当時の島田次長が「職員の中で司書の資格ということでございました」などと、質問と答弁をすり替えることもなかったのです。 「司書は何人か」と尋ねられたら、「司書という職名の職員はおりません」と答えるしかありません。
そうした答弁を避けるために、島田次長は「司書有資格者」のことを持ち出したのであることは明白です。

子どもの読書活動としての図書館の役割
さらに、専門的職員としての司書・司書補は、子どもの読書活動を推進する役割を担っています。その議論を発展させるためには、昨年の5月に文科省から発出された告示を示すことが有効です。

◇2018年4月 文科省告示第73号「子供(原文ママ)の読書活動の推進に関する基本的な計画」より

P14. Ⅲ 地域における取組  1 図書館 (1)図書館の役割    「(図書館は)保護者にとっても、子供に読ませたい本を選択したり、子供の読書について司書や司書補に相談したりすることができる場所である」

P18. (4)司書及び司書補の専門的職員の配置・研修
①司書及び司書補の適切な配置
司書及び司書補は、児童・青少年用図書等をはじめとする図書館資料の選択・収集・提供、読み聞かせ会等子供の読書活動の推進に資する取組の企画・実施、子供の読書に関する保護者の相談への対応等、子供の読書活動の推進における重要な役割を担っている

「公立図書館の職員の配置については、地方交付税措置が講じられており、都道府県及び市町村は、司書及び司書補の専門性やその役割の重要性について改めて周知を図り、積極的な配置を促す

 こうした文科省の告示等を示したうえで、図書館側から「今後は、この方向で取り組みます」という答弁を引き出すのが市議の役割ではないでしょうか。

◇<図書館に専門的職員としての「司書」を置かなくともよい>という発想は、結局は上尾市民の持つ
≪図書館リテラシー(理解、分析、活用する能力)≫を過小評価しているからと言わざるを得ません。

◎上尾の図書館問題は、まだまだ問題点や課題が多くあり、現在情報公開請求をすすめているところです。今後も引き続きみなさんにお伝えしていきます。

 

 

学校での”かくれたカリキュラム”

子どもたちが学ぶのは教科書の内容だけでしょうか?むしろ、大人たちが時折見せる真の姿が<かくれたカリキュラム>として子どもたちに刷り込まれることも実際には多いのです。

記事No.24

■そもそも、教育の目的とは
 現在、学校が存在する目的(=「教育の目的」と言ってもいいでしょう)とはいったい何でしょうか。その手がかりになると思える教育基本法は、反対の声がある中で、2006(平成18)年に「改正」されましたが、その第一条では「教育の目的」として次のように謳っています。

  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 これを見るかぎり「必要な資質を備えた国民の育成」が「教育の目的」のようです。それゆえ、子どもたちは「学校」という制度の中で学ぶよう要求され、実際に学び、その習得の程度を評価されるしくみになっています。
また、私たちはこのことについてあまり疑問に思いません。その理由は「学校では、学ぶことが当たり前である」と理解されているからです。

■「明示的カリキュラム」とは
 しかしながら、よく考えてみれば、私たちが暮らしている世の中には、実に多くのさまざまな知識が継承され、あるいは生み出され、流通しています。
そうした知識のなかには、学問知識も、職業世界で必要とされる専門知識も、日常生活で必要な「常識」も含まれます。

 それらの中から、学校において伝えるべきものが選択され、教室で子どもたちがそれらの知識を獲得できることが可能となるように、教科書等を通じて再編成されます。
その過程で、もともとの知識自体の文脈(総体)から切り離され、まったく性格が異なる知識(=「学校知識」すなわち教科としての〈社会〉や〈理科〉、あるいは〈国語〉など)として生まれ変わります。

 「学校知識」はそれを学ぶ者に対して、特別な担い手(教師)の権威と、学習内容の選択・順序・時機・進度に関する特別な規制などの受け入れを迫り、またその習得状況を授業場面や試験において絶えず監視・点検するという点で、ほかの知識とは区別される特徴をもっています。

 このような「学校知識」を、ここでは「表明された(明示的)カリキュラム」と呼びます。
こうした「明示的カリキュラム」が表の顔であるとしたら、裏の顔とでも言えるのが、「かくれたカリキュラム」です(文科省でも同様の語彙についての解説をしていますが、本稿の解釈とは異なります)。

■「かくれたカリキュラム」の特徴
 ここで、「かくれたカリキュラム」の特徴を3つほどあげておきます。
(1) 《学校で学ぶこと》が《意味のある、評価を受ける知識》であって、学校で学ばない生活的知識は、性質の異なる価値の低いものだ』という、知識に関する分類と価値序列を学びます。

(2) 『秩序は他者(学校の場合、担任教師や校長)によって決められるものであり、それを左右できる権力の保持者もあらかじめ決まっているものだ』という「秩序の他者規定性」と、「権力の上下関係の存在」を学びます。

(3) 学校やクラスでは、子どもたちの「協力・協同」や「みんな仲良く」といったことが言われます。
しかしながら、学業成績の系統的評価とそれによる処遇・進路先の違いは、むしろかくれた作用として、子どもたちに事実上の「競争関係」の存在を教え込むことになります。つまり、業績主義と競争関係の強い支配力を学ぶことになります。

 「明示的カリキュラム」による知識は、それを獲得するためには子ども自身が相応の努力をしなければなりません。それに比べて、「かくれたカリキュラム」はそれほどの努力を必要とせずに学校生活の中で自然と学ぶのが特徴です。
その意味では、「明示的カリキュラム」よりも学習効果としてはむしろ強力だとされます。上記(3)で述べたように、学級での「協力・協同」は、「かくれたカリキュラム」で競争関係の存在を学んだ子どもたちにとっては、むしろ「偽善・欺瞞」と受け取られることになりかねません。それを避けるためか、学校では行事(体育祭や合唱祭)で学級同士を競わせるなど、個人間競争意識を少しでも緩和する策がとられることがあります。

■かくれたカリキュラムの負の影響を抑えるには
 ここまででは、「かくれたカリキュラム」の負の面ばかり強調しているように聞こえるかもしれません。その負の影響を避けるためには、まずは、こうした「かくれたカリキュラム」が存在することを、同じ学校で働く教職員としての共通認識としたうえで、改善策を考えていく必要があります。

 たとえば、市教委指定の「研究発表会」や「指導課訪問」は、現状では「大人にとって特別な日」となっているのが実態です。
子どもたちは、“先生、今日はずいぶん緊張しているな”とか、“校長先生が「お客さん」にペコペコしている” と感じるとすれば、子どもは「かくれたカリキュラム」によって、それまで把握していた「権力の上下関係の存在」以上の「ヒエラルヒー(上下の序列性)」をあらためて知ることになると言えます。
そうした「学び」は、子どもたちや学校の教職員にとって、その後の学校生活にどのような影響をもたらすでしょうか。
すでに述べたように、「学校知識」は、それを学ぶ者に対して、特別な担い手(教師)の権威の存在が不可欠となっています。敢えて新規のヒエラルヒーが存在することを知らしめるのは、子どもにとっても、教師(とりわけ担任)にとっても必ずしも有益なことであるとは言えません。「かくれたカリキュラム」を子どもの成長に働くように組み換える観点が、今ほど求められている時代はないかもしれません。

「かくれたカリキュラム」による子どもの「気づき」や「学び」は、研究指定発表や「指導課訪問」などの際だけにとどまりません。
 市内の小中学校では、教育長が来校するとなれば、校長・教頭(場合によっては主幹教諭も加え)が予定時刻のずっと前から校門の門扉のところに立ち、「教育長サマ」を出迎えようとする姿(はっきり言って、あまり格好の良いものではありません)を、子どもたちが興味深く見ているという光景が見られます。
 校長や教頭のみなさんには、そうしたとき、何のために早くから「お迎え」に立つのか、それを見て子どもたちがどう考え、何が刷り込まれるかを考えて、自らの行動を振り返ってほしいと思います。
「権威の序列性」の強調は、むしろ学校や子どもたちにとっては百害あって一利なしと言えるでしょう

※参考文献:
 苅谷剛彦・濱名陽子他『教育の社会学 新版』有斐閣,2016年

 

市政を実証的データで語り、議論できる市民の登場が待たれる。

デタラメ服務の池野教育長の<再任>に異を唱える議員がただのひとりもいなかった上尾市議会。
12月の市議選は、上尾のために本当に必要な議員は誰な
のか、市民ひとりひとりが考える選挙になります。

記事No.23

■なぜ「起立全員」で池野教育長が再任なのか?
 館の住人(このブログの筆者)は、池野教育長のデタラメ服務の実態-例えば、正規の休暇取得の手続きを経ずに休み、公的スケジュール表にも「お休み」などと書かれている問題(「お休み」などという勤務態様は絶対にありません)や、市内の教職員には綱紀粛正の厳守といいながら、自分は都市教育長会議と称して岩手の博物館(行く必然性の文書は「不存在」でした。つまり、わざわざ〈嘘〉をついてまで行く必要は全くなかったのです)に行っていた問題、あるいはどこか遠くに行った際(出張)に、そのことについて教育長就任以来ただの一度も教育委員会に報告したことがないなどの信じ難い事実関係etc. を指摘し、住民監査請求を起こし、監査委員からも池野教育長に対して厳しい意見が付けられたことをお伝えしてきました。
 こうした中で、一方では、4月から教育長の服務についての規則が設けられたり、遅ればせながら出張報告がされるなどの変化が出てきました。これらは明らかに住民監査請求の影響によるものであり、裏を返せば、check機能としての教育委員会が全く機能しなかったということでもあります。
ところが、2019.03.21、徹夜明けの市議会で、池野教育長再任についての議案に対する質問はゼロ、出席議員「起立全員」で池野氏は再任されました。
このことは、どう考えてもおかしなことであり、池野氏に対する質問も皆無という市議会と議員には正直言って失望しました。もし館の住人の投稿(当時はビジネスゲームの館に投稿していました)を見ているにもかかわらず無視したのであれば、議会と教育長は「ズブズブの関係」であると言わざるを得ません。

■市議としての宮入勇二さんに期待します!
 今年5月、池野教育長がまた上尾市の公用車を極めて恣意的に使用する事態が起きました。これについては現在情報公開請求中ということもあり、内容は後日みなさんにお伝えしますが、3月に「全員一致で再任」されたということを逆手に取って自分勝手をしていると言えます。
 少なくとも、宮入さんが市議になれば、池野教育長に対して臆することなく実証データに基づいて事実を指摘したり、的確な質問をしていただけると期待しています。宮入さんの基本的な立ち位置こちら

 とにかく、12月の上尾市議選で、市政をデータで語れる市民として宮入勇二さんが立候補するというのは、久々に期待が持てるニュースだと思います。

市民と共有しない「コンプラ研修」などより、職員は「住民監査請求の結果」を読んだほうがよほどいい

ただし、読む際は声を出し、周りにも聞こえるよう音読するようお勧めします。

記事No.22

■上尾市と市民にとって、まさに画期的な出来事
 元市長のブロック塀を公費で負担した問題について、市民6名による住民監査請求(=上尾市職員措置請求)の結果、市民側の請求がほぼ全て認められ、上尾市長はじめ都市整備部長、道路課長などに対して「勧告」が出されました。
ちなみに、館の住人=このブログの筆者も住民監査請求人のうちの一人に名を連ねています。
住民監査請求への結果の
詳細はこちらの「ビジネスゲームの館」記事を参照してください。 

 このことがいかに画期的な出来事であるかを数字で示せば、市民がいくら証拠をそろえて住民監査請求を起こしても、「勧告」に至るのは全国の自治体での請求数合計 1,515件 に対して「勧告」は44件。
つまり「勧告」率は わずか 2.9%という数字に表れています。※データは総務省『地方自治月報No.59』「
住民監査請求及び住民訴訟に関する調 2017.4.1~2018.3.31 」によります。

これは、上尾市にとって初めての出来事ということ(監査委員事務局職員 談)であり、「市民による行政監視」という点から見ても大変画期的なことです。

■「住民監査請求結果」こそコンプライアンス研修
 上尾市は、今回のブロック塀公費負担という不祥事の再発防止のための「コンプライアンス研修」をやらなければなりません。さもなければ、07.09におこなった研修会との整合性が取れません。
前記事で述べたように、「研修の資料を市民には見せない」などという「きわめて度量の狭い」講師などをわざわざ呼ぶ必要はありません。
監査委員から出された「住民監査請求に係る勧告の内容について(通知)」を、全ての上尾市職員が周りに聞こえるように、職場で、あるいは自宅で音読すれば再発防止のための「研修」になるのです。

(市民からの提案)
職員が文化センターに集まって、交代交代にみんなの前で(もちろん、聴衆として市民も入れて)勧告の内容を吟味しながら、声を出して読んでいくのが、再発防止に最も効果的です。

■上尾が変わるには、市民との情報共有こそ必要
 少し残念なのは、こうした市民側からの具体的な動き(監査請求など、実際に行動に移すこと)が、前述の市民6名の他には現れなかったことです。
市政(あるいは市教委)の実態(「不都合な真実」とも言います)と問題点を多くの市民と共有し、どうすれば良い方向に向くのかを一緒に考え、実際に行動を起こしていくことが今こそ求められます。

 市民に身近であるはずの上尾市議会でも、今回のような住民監査請求の観点に立って質問し、改善を求めていく議員が現れることを期待したいと思います。

 

「コンプライアンス研修」中身は結局闇の中???

“度量の狭い”講師 を選んだ上尾市

記事No.21

■添えられ1枚の写真
 上尾市webには、「7月9日に文化センターで、市長・副市長・教育長も含め課長職以上の職員を対象に研修を実施しました」とあります。下の写真も添えられていますが、この写真を見てどんな感想を持つかは、全く市民の自由です(私的感想で言えば、前列向かって左から2番目と3番目の方の表情が今の上尾を象徴しているように見えます)。

■そもそも、何のための研修なのか。
 この(コンプライアンス)研修をおこなった理由としては、「西貝塚環境センターの入札に係る第三者調査委員会からの再発防止策の提言を受けて、職員の職務に係る倫理の保持に資するために行ったもの」だそうです。ただ、注目すべきは研修の日付。この研修の少し前、6/20には市議会で例の元市長宅ブロック塀公費修繕問題が取り上げられました。
つまり、次から次へと起こる不祥事に、研修のほうが追い付いていない状況なのです。
このようなことを繰り返していたら、次回の研修は「上尾市ブロック設置問題に係る調査委員会調査報告書の提言を受けて」の研修も行われなければならないことになります。

■研修内容の情報公開請求に対して「非公開」???
 館の住人は、07/09 の研修会の内容が知りたいと考え、研修資料の開示を求めて情報公開請求をおこないました。その結果は、なんと「非公開処分」でした。
非公開とされた理由は、「研修資料については、講師が著作権を盾にして公開を拒んでいるから」というものです。
すなわち、07/09の研修会は市役所の課長以上の職員は全員出席していますが、その内容については市民には公開されず、闇の中ということになります
こうした上尾市の対応には、市民として非常に違和感を持ちます。同時に、この研修会の講師である高嶋直人氏(上尾市HPによれば、「人事院公務員研修所客員教授」だそうです)をなぜ選んだのか(担当は職員課)、当日の研修資料は上尾市役所に帰属するという確認をしなかったのか疑問が生じます。
この講師は、研修内容が公開された場合は、“自分の「商売」に差し支える” との判断で資料の公開を拒んだのでしょうが、それは「不祥事続きの上尾で、何が問題なのか、何をすべきなのか」ということを市民と共有することを拒んだということになります。
結果的に上尾市は “極めて度量の狭い”講師を選んでしまったことになり、またひとつ上尾市行政の失敗例となってしまいました。

■職員研修の公開を
 上述のような問題について、ひとつの有効な解決の方法を示してくれる参考文献があります。
 浅野詠子『情報公開で進める自治体改革』自治体研究社,2010
(残念ながら、上尾図書館には収蔵されていません)

 文献で著者が主張していることは、次の点です。

 自治体には情報が集積されています。これらの情報をどう住民と共有するかは、自治体が解決すべき課題のひとつですが、解決策の具体例の一つとして
職員研修のテーマを見ればNPOのメンバーや私企業の者が率先して学びたい分野がかなりあるだろう」(前掲書,140頁)とし、職員研修に住民の参加を求めています。 

 著者が主張するように、自治体職員対象の研修について、住民の参加も認めるという手法は斬新であるとともに、全国の自治体においても取り組むべき課題であると考えるものです。
上尾市でも、次回以降の職員研修は、空いた席は市民で一杯にするくらいの“度量の広さ”を示してもらいたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

「学校施設更新計画基本方針」への意見

記事No.20

■今週は…
 実は、館の住人(このブログの筆者)は某大学の通信教育課程で学んでいる学生でもあります。
今週は月曜日から今日まで夏期スクーリング(面接授業:略称夏スク)でした。ちなみに、受講した科目は以前から学びたいと考えていた「図書館・情報学」です。講義はもちろん、大学図書館で参考文献を渉猟する中で新しい知見も得ましたが、その話はいずれまたお伝えします。

■上尾では、大事なことが次々と…
 夏スクに行っている間に、先輩ブロガーのビジネスゲームの館では、上尾市にとって重要な出来事などについて、次から次へと更新がされており、しかも的確な指摘と分析がされていることに少なからず驚きました。
その中で、AKB事件の報告書も大事ですが、少しさかのぼって、「上尾市学校施設更新計画基本方針」(原文はこちら。※最終閲覧日2019.08.24。ただし、今後 担当課である市教委事務局 教育総務課により削除される可能性もあります)への意見書を館の住人も提出しましたので、そのことについて今記事では取り上げます。

■上尾市学校施設更新計画基本方針への意見
 P15枠内
「児童数は今後も減少していく見込みである」と、
「生徒数は今後は横ばいで推移していく」
とは矛盾する。
※現状認識と今後の見通しの問題。
児童数(小学生)が今後も減
少していくならば、
生徒数(中学生)も数年後減少していくはず。
減少幅に見合う転入の中学生がいない限り、決して
横ばいにはならない。
 

 P29中央 1)
児童・生徒の学びとともに社会性も身に着けられる
学校規模の維持
※文書作成能力(検証含む)の問題/学びや社会性を 獲得する場合、「身に着ける」は使わない。「身につける」あるいは「身に付ける」が正しい。

 P34(2) 利用しやすい教育環境整備の推進
※「コミュニティスクール」についての記述が無い。
昨年度あたりから鳴り物入りで始めたにしては、それに関する記述が欠落しているというのは解せない。

 P41 小中一貫に向けた教育の推進 [現状]
「小1プロブレム」や「中1ギャップ」との記述があるが、その概念を実際に裏付ける、上尾市における実証的なデータが示されていない。そういう状況で、一般的な語彙を使うべきではない。あくまでも上尾市の現状を踏まえた記述であるべき。

 P41 小中一貫に向けた教育の推進 [主な取り組み]※「9か年を見据えた教育課程を編成します」とあるが、そのロードマップは検討されているのか。それとも全く白紙の状態なのか。誰(どこ)がどのように進めていくのか疑問。
※「中学校区における異校種間の連絡会や研修会などを定期的に実施」とあるが、学校現場でこれ以上研修会を増やすのは甚だ疑問である。

 さて、こうした意見がどの程度反映されるか、今後の推移を注視していきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上尾市教育委員会の不都合な真実 その11

歴代「市教委 学校教育部長」の異動先は、なぜ特定の学校に偏っているのか

記事No.19

■学校教育部長の異動先に見る「不都合な真実」
 2001(H13)年度以降の市教委「学校教育部長」の異動先を調べたところ、例外の2件(理由は後述)を除き、全て「上尾小」か「上尾中」でした。
 このことが何を意味するのかについて今回はお伝えしますが、前記事のとおり、市教委学校教育部長となった者は、その職のままで退職することは絶対にありません。彼らは埼玉県の採用試験を受けて教員になったので、退職金も当然県で支払うのが行政としての「絶対のルール(義理とも言える)」だからです。
裏を返せば、学校教育部長のまま退職されては、「退職金支払の義務は無い」はずの上尾市が一番困るということになります。

■歴代「市教委学校教育部長」の異動先は?
一覧で示せば、次のようになっています。

2001(H13)年度  宮崎四郎学校教育部長  → 上尾小
2002(H14)~2004(H16)年度   岡野栄二(〃) →上尾小
2005(H17)~2007(H19)年度 井川 隆(〃) →上尾中
2008(H20)年度   飛田政弘(〃) →上尾小
2009(H21)年度   曽我部延孝(〃) →大石中                    
2010(H22)~2012(H24)年度   池野和己(〃)  →上平中
2013(H25)年度          講内靖夫(〃)   → 上尾中
2014(H26)~2016(H28)年度    西倉 剛(〃) →上尾中
2017(H29)~2018(H30)年度 今泉達也(〃) →上尾小

2019(H31)年度~   伊藤   潔(〃) → ??

(解説)
まず、「上尾小」・「
上尾中」以外の学校への異動についてですが、曽我部氏の大石中への異動は、井川氏が上尾中に在任中だったことによるものです。
池野氏の上平中への異動は、逮捕前の前市長と繋がりを持ち、その後の教育長就任を意識したものであろうと推測されます。ただ、当時そこまで見通せた方はほとんどいなかったと思われます。
それ以外は全て上尾小か上尾中(小中の違いは教職経験によります)となっていることは、今さらながら注目に値します。
なお、岡野栄二氏は上尾小校長時代に、3月の年度末を待たずに(責任放棄とも言えます)、年度の中途で「自己都合」で教育長に就任しています。

■上尾市内の小中学校に、市教委自らが「格差」を生み出している?
<上尾には、市教委により恣意的に作られた「学校間格差」が存在するのではないか>との観点から情報公開請求をおこないました
その内容は次のとおりです。

 上尾市内各小中学校間には「学校間格差」が存在しないこと、あるいは「学校間格差を生じさせてはいけない」と市教委が述べていることが判別できる文書・資料等(を情報公開請求します)。
ここで言う「格差」とは<空間的な距離の差>や<地域差>あるいは<学校規模の差>のことではなく、『A学校はB学校より「格」が上である』等の「格差」のことを指すものです。

 この情報公開請求の結果は「文書不存在」の処分とされました。つまり、市教委は「学校間格差を生じさせてはいけない」という文書・資料等を保有していないということになります。
ここで、素朴な疑問が生じます。
もしも「学校間格差」
が無いとすれば、上尾市内には小学校22校、中学校11校があるのですから、歴代の学校教育部長の異動先が、なぜ上尾小と上尾中ばかりに集中するのかの説明がつきません
「学校間格差」が無いのであれば、学校教育部長の異動先は市内のどの学校でも良いはずです。

■上尾市内の小中学校には本来無いはずの「格差」を市教委自らが生み出している?
以上のように、あたかも上尾小と上尾中が(空間距離的な意味ではなく)「市内の中心校」であるかのごとく受けとめられるような人事異動を、上尾市教委自らがおこなってきており、それはずっと続いているのです。

先の住民監査請求についての監査委員の「意見」、すなわち
「教育行政の責任者として、服務規律の厳正な確保を指導する服務に係る記録の管理が不適切であったことは、大変遺憾である」
あるいは
「教育委員会事務局は、請求人からの行政文書公開請求等により改善の機会を得ていたにもかかわらず、事実確認や見直しを怠った」
などの指摘に加えて、今回述べた事実から、「上尾市教委の不都合な真実」がまたひとつ明らかになったとも言えます。
こうしたことが是正されるべきであることは市民的視座からも当然であり、上尾市教委「正常化」の道程がまさに始まったとも言えます。

 上尾市教委は、自らが生み出した「学校間格差」をこのまま放置するつもりが無いのであれば、2019年度から学校教育部長の職にある伊藤 潔 氏について、上尾小・上尾中以外の学校へ異動させることです。
 今記事でお伝えしたように、学校教育部長の異動先を注視することも、市民による教育行政監視につながるのではないでしょうか。