日々の所感 -こんな今だからこそ読んでみたい小説-
今記事では、明後日(11/10) に東京都内で予定されている、天皇の交代を喧伝するパレードを念頭に置いて読んでみたい小説(柳美里『JR上野駅公園口』)について書いていきます。
記事No.38
■小説のあらすじ
柳美里(ゆう・みり)の小説『JR上野駅公園口』に登場する主人公は、1933(昭和8)年生まれ、福島県相馬郡八沢村出身です(1933年とは、前天皇の〈明仁〉と同じ年の生まれである点に要注目)。
12歳で終戦を経験し、国民学校卒業後いわき小名浜漁港で住み込みでのホッキ貝採り、北海道浜中での昆布の刈り取り労働などの後、1963(昭和38)年には、東京に出稼ぎに来ています。仕事は翌年の東京オリンピックで使用する体育施設の土木工事でした。
男には弟妹が7人います。妻の節子との間には浩一と洋子の二人の子がいますが、家族はとにかく貧しい生活を送ってきました。息子の名前である浩一の「浩」の字は、同じ日に生まれた「浩宮」から一字取ったものです(浩一の生年月日は1960年2月23日、つまり現天皇〈徳仁〉と同じ日の生まれというのがふたつ目の注目点です)。
この小説は、極貧の生活の中で郷里の家族を養うために出稼ぎを繰り返してきた、ひとりの男の人生を描いています。男にとって、突然訪れた一人息子である浩一の死は到底受け入れられないものであり、続いて妻をも亡くしたことから、生きる意味を失っていきます。
男はその後上野「恩賜」公園でホームレスとなり、そこで天皇家の人々が博物館や美術展に来る際などに≪山狩り≫と称するホームレス排除を目の当たりにします。そして最期は山手線内回りの電車に飛び込んでの自死、ラストは、孫娘までが東日本大震災の犠牲になる様子が描かれています。小説の最初から最後まで、絶望的な貧困と、生まれながらの環境による〈不条理〉が描かれている作品です。
■上野公園での「山狩り」
美術館や博物館などが多いこともあり、天皇家は頻繁に上野公園付近を訪れています。この小説の中では次のように書かれています。
「天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に行われる特別清掃「山狩り」の度に、テントを畳まされ、公園の外へ追い出され、日が暮れて元の場所へ戻ると「芝生養生中につき入らないでください」という看板が立てられ、コヤを建てられる場所は狭められていった」
作者の柳美里は、小説の中で、声高に天皇制に対して異を唱えているわけではなく、地道な取材に基づいた事実を淡々と描いています。この作品の「あとがき」で柳美里は次のように述べています。
「2006年に、ホームレスの方々の間で「山狩り」と呼ばれる、行幸啓(注:天皇の外出)直前に行われる「特別清掃」取材を行いました。「山狩り」実施の日時の告知は、ホームレスの方々のブルーシートの「コヤ」に直接貼り紙を貼るという方法のみで、早くても実施一週間前、二日前の時もあるということです」
このことに関連して、「台東区が路上生活者の避難所利用を拒否」という出来事がありました(概要はこちら)。「明らかな格差で、命に差別をつけている」ということから批判を浴びました。
そして、報道されることはないものの、上述の「山狩り」はいまだに継続されているだろうことは、容易に推測できます。
[追記]NHK NEWS WEB(2019.11.11)より
「上皇ご夫妻は、上皇后さまが皇居で育てられた蚕の繭を使って復元した正倉院事務所所蔵の弦楽器などを紹介する特別展をご覧になりました。特別展「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美ー」は、天皇陛下の即位を記念してNHKなどが開いたもので、上皇ご夫妻は、午後4時半前、東京 上野の東京国立博物館に到着されました」
前天皇夫妻が11/11(当日は東博休館日)に東博に行ったことにより、小説の中で描かれているホームレスの人たちを排除する「山狩り」がおこなわれたことは、ほぼ間違いないでしょう。
■天皇交代パレードの陰で
おそらく、11/10の夜のニュースでは、パレードの様子と、誰が配っているかもわからない(推測はつきますが)日の丸の小旗を振りながら”感激”した観衆の声を流すことでしょう(館の住人=このブログ筆者は、そのような報道は見ないようにしていますが)。
国民の受け止め方は様々なので、めでたいことであると考える人もいるでしょうが、ブログ筆者にとって、「天皇の交代を祝わなければならない」という空気は、何かとても居心地が悪いように思えます。
華やかなパレードの一方で、路上生活者の生存権が脅かされていることも、忘れてはならないと思います。
■天皇を意識したと思われる、行事などでの「礼」
パレードほどあからさまではありませんが、様々な場面で、天皇を意識したとしか思えない振る舞いが目につきます。例えば、学校行事(入学式や卒業式など)で、ステージの後ろには日の丸が掲げられています。あいさつのために登壇した校長は、まず、そちらに向かって一礼します。明らかに日の丸に「礼」をしているわけです。
「何に向かって頭を下げているだろう?」と思う間もなく、式は「厳粛に」進んでいくので、参列者は疑問を抱く暇もありません。
こうした「儀式的行事」で、参列者が「おかしいのでは?」と声をあげることは、ほとんど無理な空気が支配するのです。
小説『JR上野公園駅口』は、ホームレスの人たちを排除する事実や、天皇に対する祝意を半ば強制する雰囲気の危うさを、柳美里の淡々とした語り口で私たちに突きつけている小説ではないかと思います。天皇の交代を機に様々な行事が「これでもか」と組まれている今だからこそ、読む価値のある作品です。